Antibes 豪華ヨットとピカソ美術館で有名なアンティーブ

日本の方々にはピカソ美術館があることでよく知られているアンチーブですが、他にも色々な見所があって私のお気に入りの街の一つです。

タイトルをクリックするとその内容へジャンプできます。

☆ 地理・人口
☆ アンチーブの歴史
☆ 観光情報
☆ ホテル
☆ レストラン
☆ イベント
☆ アクセス
☆ リンク

*こちらのページは、観光ガイドの代わりとすることが目的ではなく現地ガイドの経験から便利で役に立つ情報を提供できたらという思いから作りました。
*お勧め情報はステファニーの個人的な意見です。

☆地理・人口

アンチーブは、コートダジュールにおいてニースに次ぐ規模の街で、人口は約7万5千人です。位置的には、ニースとカンヌの間にあり、ニースから南西へ約23キロメートル、カンヌからは東へ約10キロメートルです。ニースのビーチからは、右手にアンチーブ岬を望むことができます。

☆歴史

古代から中世

南仏コートダジュールに位置するアンティーブは、美しい海と豊かな歴史が魅力の街です。その歴史はなんと数千年前、紀元前5世紀にギリシャ人が築いた交易拠点「アンティポリス」にさかのぼります。マルセイユを拠点とした彼らが、後のニースよりも早く、この地に活気ある商いの場を築きました。ローマ時代には、アンティポリスはますます発展し、ガリアへの重要な玄関口として栄えました。漁業や塩田が盛んになり、ローマと同じような食文化も花開いたそうです。しかし、ローマ帝国の衰退とともに、アンティーブの街は苦難の時代を迎えます。イスラム教徒の侵入に悩まされ、一時的に教会が移転するほどの不安な時代が続きました。

フランス王国の重要な拠点へ
1481年にフランスに併合されてからは、アンティーブはフランス王国の重要な拠点として、隣国との争いの最前線に立つことになります。特に、ヨーロッパの覇権をめぐるフランス国王と神聖ローマ皇帝の戦いでは、何度も包囲され、略奪されるという厳しい経験をしました。

ルイ14世の時代には、有名な軍事建築家ヴォーバンによって街の防衛が強化され、難攻不落の要塞へと生まれ変わります。実際に、オーストリア継承戦争では、1746年、57日間にわたる猛攻を耐え抜いたという英雄的なエピソードも残っています。

ナポレオンとアンティーブ
フランス革命期は比較的穏やかだったアンティーブですが、ナポレオンとの意外なつながりもあります。ナポレオンがエルバ島から脱出し、フランス本土に上陸した際、最初に立ち寄ろうとしたのがアンティーブでした。しかし、当時のアンティーブの人々は彼に対して冷たく、結局ナポレオンはここを避けて進んだそうです。王政復古後その忠誠心が認められ、ルイ18世から「良い町」の称号があたえられました。

Antibes La vague

観光地アンティーブの誕生
長い歴史を経て、1860年にニース伯領がフランス領となった後、アンティーブは大きく変貌を遂げます。街を囲んでいた陸側の城壁は取り払われ、海側の城壁やカレ砦といった歴史的な建造物は今も残され、往時を偲ばせています。

そして、この頃からアンティーブは観光地として発展していきます。特に、1882年にジュアン・レ・パンに海水浴場が作られてからは、コートダジュールの観光ブームに乗って、ピカソやマレーネ・ディートリッヒ、ケネディ一家など、世界の著名人が訪れるようになりました。

ジュアン・レ・パンの黄金期とアメリカ人
第一次世界大戦後、ジュアン・レ・パンの魅力はさらに高まります。それまでの南仏では夏の暑い時期は避暑客が少なかったのですが、自由なバカンスを楽しむアメリカ人のおかげで、真夏でも海水浴を楽しむ人々が増えました。アメリカの鉄道王の相続人であるフランク・ジェイ・グールドは、この地に海岸で初めてのおしゃれなリゾート地を作り上げました。彼が古びたカジノを買い取り、コートダジュールで最も美しく活気あるカジノへと変貌させたことで、スコット・フィッツジェラルドやチャーリー・チャップリンといった文化人が集まるようになります。かの有名な小説「グレート・ギャツビー」の作者であるフランシス・スコット・フィッツジェラルドも、アンティーブ岬とジュアンに滞在し、「夜はやさし」などの名作を執筆しました。1927年には、コートダジュール初の超高級ホテルがオープンし、ジュアン・レ・パンはヨーロッパでも有数のファッショナブルなリゾート地としての地位を確立していったのです。

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☆ 観光情報

アンティーブ観光のヒント
アンティーブへは電車でのアクセスがとても便利です。駅を降りれば、すぐに旧市街やその周辺を徒歩で散策できますよ。もし車があれば、行動範囲がぐっと広がり、絵のように美しいアンティーブ岬まで足を延ばして、素晴らしい海の景色を満喫できます。

旧市街のおすすめスポット
アンティーブ旧市街は、ぶらぶら歩くだけでも楽しい場所。可愛らしいお店が軒を連ね、散策好きにはたまりません。特におすすめの見どころはこちらです。

ピカソ美術館: ピカソの作品数は多くないものの、彼が実際に絵を描いていたアトリエの空間を体験できるのは貴重な機会です。天才芸術家がどんな場所で創作していたのか、その雰囲気を肌で感じてみてください。

プロヴァンス市場 (Marché provençal): 地元の新鮮な食材やお土産が並び、活気あふれる市場です。南仏の日常を垣間見ることができます。ピカソ美術館のすぐ近くにあります。火曜日から日曜日まで午前中の営業。

ペイネ美術館: フランスの国民的画家、レイモン・ペイネの作品を展示しています。可愛らしい「ペイネの恋人たち」のイラストは、きっとあなたの心を和ませてくれるでしょう。

カップ・アンチーブ(アンチーブ岬)もすばらしくて、車ですぐに行くことができます。アンチーブ岬を徒歩でお散歩するのはとても気持がいいです。もしくは、一日プライベートビーチでのんびり過ごすのもいいですね。
岬にあるLa garoupe灯台からの景色もとても奇麗です。地元も人たちは、砂浜のla Salisビーチが好みなようです。

☆ ホテル

カンヌ映画祭の時に、一流監督達が宿泊する(日本人では黒澤監督が宿泊しました)「エデンロック」という高級ホテルと素晴らしいレストランがあります。このホテルに宿泊するには、5泊以上の予約が必要とのことです。ホテル内のレストランでは宿泊していなくてもお食事ができますし、プールにも有料で入ることができます。

Chemin Douaniers

☆ レストラン

私は、アンチーブ岬にある一つ星レストラン「les Pêcheurs」が好きです(住所:10 Boulevard Maréchal Juin06160 Cap d’Antibes)。レストランから海が見えて、お魚もとても美味しいです。

ニース側には、ブイヤベースが食べられる1つ星レストラン「Le Bacon」(住所Boulevard de Bacon Cap d’Antibes)もあります。レストランから見えるアンチーブと海の景色が素晴らしいです!

☆マイコートダジュールでは、アンチーブとカンヌへご案内する半日ツアー(午後)を催行してます。

アンチーブ岬などでごゆっくり過ごされたい場合は貸切チャーターでご案内も可能です。

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☆イベント

アンチーブの隣「ジュアンレパン」では有名なジャズフェスティバルが毎年7月中旬に行われています。2013年には日本人アーチストも参加しました。
昼間はビーチ、夜はジャズで楽しい夏休みはいかがでしょうか。

☆アクセス

・電車

ニースからは、カンヌ方面行きのTER電車で20分程度
カンヌからは、ニース方面行きのTER電車で10分程度
時刻表は、こちらのサイトの左側の枠に駅名 「Nice-Ville」 その下に「gare de ANTIBES」と入力し日時を選び、右下の青いボタンを押すと出てきます。

・バス

ニースからはメリディアンホテル前発のカンヌ行きの200番のバスで1時間30分程度
カンヌからは市庁舎前発のニース行きの200番のバスで30分程度
中心街に一番近いバス停は、「Directeur Chaudon」という名前でジェネラルドゴール広場付近モノプリのスーパーの近くです。比較的降りる人が多いバス停ですが、分かりにくいので事前に運転手に確認された方がよいでしょう。

バスの本数は、月−土:15分-20分ごと、18時以降は本数減、6時−21時45分運行。
日曜・祝祭日:20-30分ごと18時以降は本数減、7時45分−21時40分運行。時刻表はこちら
運賃は1.5ユーロ

ニース空港から

バス:ターミナル1か2のバス乗り場から250番EXPRESS
片道10ユーロ、往復15ユーロ
時刻表はこちら

☆リンク

アンチーブ・ジュアンレパン観光案内所サイト英語

日本の方々にはピカソ美術館があることでよく知られているアンチーブですが、他にも色々な見所があって私のお気に入りの街の一つです。

タイトルをクリックするとその内容へジャンプできます。

☆ 地理・人口
☆ アンチーブの歴史
☆ 観光情報
☆ ホテル
☆ レストラン
☆ イベント
☆ アクセス
☆ リンク

*こちらのページは、観光ガイドの代わりとすることが目的ではなく現地ガイドの経験から便利で役に立つ情報を提供できたらという思いから作りました。
*お勧め情報はステファニーの個人的な意見です。

地理・人口

アンチーブは、コートダジュールにおいてニースに次ぐ規模の街で、人口は約7万5千人です。位置的には、ニースとカンヌの間にあり、ニースから南西へ約23キロメートル、カンヌからは東へ約10キロメートルです。ニースのビーチからは、右手にアンチーブ岬を望むことができます。

アンチーブの歴史

数千年の歴史のあるアンティーブは、紀元前5世紀にギリシャ人がマルセイユを拠点として築いた交易拠点「アンティポリス」に起源を持ちます。彼らは、後にニース(ニカイア)を建設するよりも前に、この地に活気ある交易の場を築いたのです。現在のアンティーブは、この古代の歴史の上に発展してきました。 

アンチポリターナの町

ローマ時代になってアンティポリスはかなり成長します。ガリアの主要道路の一つのオレリア街道は、多くのモニュメント(劇場、劇場、アゴラ、浴場、水路、凱旋門)のある都市を結び経済発展を促し、ワイン、油や陶器を運ぶ船が多く通過する重要な市場となってゆきます。一方、町は、地域資源、特に漁業や塩田を開発していきます。町では、ローマと同じ食事が作れるように様々な調味料が作られます。

アンチポリスからアンチブール

コンスタンティヌスの治世の後、ローマ帝国は、アンティーブ国を残して崩壊します。アンティポリスはアンチブール(Antiboul)と名付けられて、聖Hermentaireが442年に最初の司教となります。しかし、地域に不安が残り、特に海上貿易での経済は促進しません。
当時のイスラム教徒サラセン人たちが海岸から頻繁に侵入します。 1243年には、インノケンティウス4世は、市内はもはや安全ではないとして、グラースへ教会を移すことにします。

アンチーブ ロイヤル・シティー

1481年にフランス・プロヴァンスへ併合され、アンティーブはニース伯領とサヴォイア国という隣国に面した王国の最後の砦となります。そして、ヨーロッパの支配のためのチャールズ5世とフランソワ1世の間の戦争の渦中に置かれることとなります。すでに1524年に破壊されたアンティーブの町は、カール5世に賛同するアンドレア・ドリアの艦隊からの強力なサポートを受けた50,000人の強力かつ経験豊富な軍隊によって、1536年には陸と海ともに包囲され、略奪されます。16世紀の後半に、プロヴァンスは戦火と血にまみれます。宗教戦争により、スペイン王フェリペ2世が率いる新たな侵略を受けます。同盟国、サヴォイ公爵は、アンチーブを再び包囲し略奪します。アンリ4世は、エペルノン公爵を急いで送り1592年12月6日町を奪回します。アンリ4世によるブルターニュ平定とナントの勅令が公布され、戦闘は中断されます。 1600年、アンティーブはイタリアから来たマリー・ド・メディチ、新しいフランスの女王を受け入れます。

オーストリア継承戦争中の1746年の歴史上最悪の包囲を見る前に、ルイ14世は有名な軍事建築家ヴォーバンに市内の防衛の強化を託し、ヴォーバンは要塞を再構想します。サド伯ジョセフ·デビッド司令官の指揮の下、アンティーブは2,600個の爆弾と200の火炎瓶によるオーストリアの57日の攻撃に英雄的に抵抗します。2月1日に、包囲はついに終了します。

アンチーブとフランス帝国

フランス革命中は、アンチーブは比較的穏やかです。トゥーロンの包囲中に若い将軍ボナパルトが名を挙げる前に、彼の家族はアンティーブに住んでいます。
ナポレオン皇帝となり、ニース出身のマセナ氏やアンチーブ出身のオノレ・シャルル・レイユ氏などの国の重要な人物に指示される様になります。そのためにナポレオンはエルベ島から脱出した時にゴルフ・ジュアンに1815年3月1日に上陸し、アンチーブに停泊しようとします。しかし時間が経っていたため、アンチーブの人々はナポレオンに対して冷たい態度を示したたため、ナポレオンはアンチーブを避けていくこととなります。ルイ18世は、そんなアンチーブの皇帝への忠誠への報酬として前に自らが剥奪した「良い町」称号を再度与えます。

Antibes La vague

新しい時代

フランスとサヴォイア家の長い争いの後、ニース伯領は1860年にフランス領となります。
その後、要塞の中から外へと発展して行きます。陸側の城壁は取り除かれますが、Le Front de Mer という海側の城壁と16世紀に造られたLe Fort Carréカレ砦(歴史的建造物指定)は今でも見られます。
まずアンティーブ岬を開発し、園芸が発展して行きます。そして1882年にはジュアン·レ·パンの海水浴場を造り、コートダジュールの観光業の驚異的な発展とともに、世界の政治界・芸術界の有名人(ピカソ、マレーネ·ディートリッヒ、ケネディファミリーなど)が訪れるようになります。

アメリカのストーリー

実際には、ジュアン・レパンの冒険は、第一次世界大戦後に始まります。伝統的には、暑い夏の間、人は少なかったのですが、自由なアメリカ人のお陰で太陽が出ている時間でも海水浴をする人々が増えていきます。いくつかの隠れた別荘のある松林の中、米国鉄道王の相続人であるフランク·ジェイ·グールドは、海岸の最初の夏のおしゃれなリゾート地を造ります。

ドーヴィルの主唱者の1人のフランスのエドゥアール・ボドワンと共同で、彼は海辺の古いカジノを買い取り、海岸沿いで最も美しく活発なカジノへと変容させます。そして国際的な知的エリートや有名人(スコット・フィッツジェラルド、チャーリー・チャップリン、マレーネ・ディートリッヒ、ジョン・ドス・パソス、ピカソなど)が訪れるようになります。

映画にもなっている「グレート・ギャッツビー」の原作を書いたアメリカの有名な小説家フランシス・スコット・フィッツジェラルドは、アンティーブ岬とジュアンに滞在し、有名な小説「夜はやさし」や傑作「ジャズ・エイジの物語」を書きます。1927年5月には、フランク・ジェイ・グールドの息子フランク・ジェイ・グールドがコートダジュール最初の超高級ホテルを造ります。そして、カジノと共にジュアンへ人々を引きつけることとなります。その時から、ジュアンレパンはファッショナブルなリゾート地となり、時とともに欧州の最も有名なリゾート地となっていきます。

☆ 観光情報

PLENSA-7 300

 

アンティーブ観光のヒント
アンティーブへは電車でのアクセスがとても便利です。駅を降りれば、すぐに旧市街やその周辺を徒歩で散策できますよ。もしレンタカーがあれば、行動範囲がぐっと広がり、絵のように美しいアンティーブ岬まで足を延ばして、素晴らしい海の景色を満喫できます。

旧市街のおすすめスポット
アンティーブ旧市街は、ぶらぶら歩くだけでも楽しい場所。可愛らしいお店が軒を連ね、散策好きにはたまりません。特におすすめの見どころはこちらです。

ピカソ美術館: ピカソの作品数は多くないものの、彼が実際に絵を描いていたアトリエの空間を体験できるのは貴重な機会です。天才芸術家がどんな場所で創作していたのか、その雰囲気を肌で感じてみてください。

プロヴァンス市場(Marché provençal): 地元の新鮮な食材やお土産が並び、活気あふれる市場です。南仏の日常を垣間見ることができます。

ペイネ美術館: フランスの国民的画家、レイモン・ペイネの作品を展示しています。可愛らしい「ペイネの恋人たち」のイラストは、きっとあなたの心を和ませてくれるでしょう。

アンティーブ岬と周辺ビーチ
アンティーブ岬(Cap d’Antibes)も、訪れる価値のある素晴らしい場所です。旧市街から車ですぐに行けて、岬周辺を徒歩で散策するのは本当に気持ちがいいですよ。のんびり過ごしたい方は、プライベートビーチで一日ゆったりするのもおすすめです。

岬にあるラ・ガループ(La garoupe)灯台からは、息をのむほど美しい景色が広がっています。そして、地元の人たちに人気なのは、砂浜が広がるラ・サリスビーチです。太陽の下でリラックスしたり、泳いだりするのにぴったりですよ。

☆ ホテル

カンヌ映画祭の時に、一流監督達が宿泊する(日本人では黒澤監督が宿泊しました)「エデンロック」という高級ホテルと素晴らしいレストランがあります。このホテルに宿泊するには、5泊以上の予約が必要とのことです。ホテル内のレストランでは宿泊していなくてもお食事ができますし、プールにも有料で入ることができます。

Chemin Douaniers

☆ レストラン

私は、アンチーブ岬にある一つ星レストラン「les Pêcheurs」が好きです(住所:10 Boulevard Maréchal Juin06160 Cap d’Antibes)。レストランから海が見えて、お魚もとても美味しいです。

ニース側には、ブイヤベースが食べられる1つ星レストラン「Le Bacon」(住所Boulevard de Bacon Cap d’Antibes)もあります。レストランから見えるアンチーブと海の景色が素晴らしいです!

☆マイコートダジュールでは、アンチーブとカンヌへご案内する半日ツアー(午後)を催行してます。

アンチーブ岬などでごゆっくり過ごされたい場合は貸切チャーターでご案内も可能です。

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☆イベント

アンチーブの隣「ジュアンレパン」では有名なジャズフェスティバルが毎年7月中旬に行われています。2013年には日本人アーチストも参加しました。
昼間はビーチ、夜はジャズで楽しい夏休みはいかがでしょうか。

 

☆リンク

アンチーブ・ジュアンレパン観光案内所サイト英語