ジャン・コクトーがよく訪れた客船の寄港地ヴィルフランシュ・シュル・メールとその近郊

ジャン・コクトーがよく訪れたニースとエズの間にある大型豪華客船の寄港地ヴィルフランシュ・シュル・メールをご紹介します。

*こちらのページは、観光ガイドの代わりとすることが目的ではなく現地ガイドの経験から便利で役に立つ情報を提供できたらという思いから作りました。

*お勧め情報はステファニーの個人的な意見です。

コートダジュールを目指してくるクルーズが停泊することが多く、重要な海上都市となっています。地中海の地元料理や新鮮な魚を組み合わせた様々な料理を堪能することができます。

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☆地理・人口

ニースの6km東隣、モン・ボロンの丘を越えたところにあります。今日ヴィルフランシュ・シュル・メールには、年間で5800人の住民が住んでいます。経済は観光業がメインで、フランスのコートダジュールのクルーズ客船の寄港地の中で最も活発な港の一つです。有名な大型豪華客船としては、ディズニーマジック、セレブリティソルスティスエノックス (RCCL)などがあります。

☆歴史

ヴィルフランシュ湾は、丘に囲まれ守られているため、ギリシャやローマ時代から船のための停泊地として使われます。

西ローマ帝国の崩壊(5世紀)で、ヨーロッパは不安定になり、異邦人からの侵略を受けます。住民たちは、丘の上の鷲ノ巣村へ逃げ込みます。住民たちの避難した場所に「モン・オリヴォ(ラテン語のMons Olivaで、オリーブに囲まれた山だったのでしょう)」という名前がつけられます。

1295年プロヴァンス伯でナポリ王のアンジュー家シャルル2世が、海辺に新しい町を作ることに決めます。鷲ノ巣村から海辺に移り住む住民に対しては、「免税や特権を与える<Villam Francam>の都市を作る」とう文章を作成します。ヴィルフランシュという名前の由来はここからきています。

継承戦争後、1388年からほぼ5世紀にもわたってヴィルフランシュはサヴォイア公国の支配下に入ります。

16世紀には、神聖ローマ皇帝カール5世とフランソワ1世の対立が長い間続きます。

サヴォイア公国の領地は、神聖ローマ皇帝カール5世の2つの領地の往来を妨げていました。カール5世は、甥にあたるサヴォイア公爵を財政的に支援し、ニースの海岸線の要塞化を促します。それに対し、フランソワ1世は、カール5世の2つの領地の往来を妨げるために、 ニース伯領はアンジュー家の継承地だと主張します。

rue-Baron-de-Bres1554年からサヴォイア公爵、エマニュエル・フィリベールのリーダーシップの下でヴィルフランシュの要塞化が進み、サヴォイア公国の兵器庫、軍港として使われていきます。

1860年国民投票の後、ヴィルフランシュとニース伯領はフランスの地となることを認め、サヴォイア公国の支配下から抜け出すことになります。

この豊かで激動の歴史の中でも、ヴィルフランシュ・シュル・メールには、多くの歴史的な建物などが残っています。

漁業は、ヴィルフランシュの歴史的な活動です。漁師の家族たちはお互いに支え合い、しっかりしたコミュニティを築きました。 1860年には、ヴィルフランシュ、ボーリュ、サンジャンカップフェラ、で270名の漁師の登録がされていましたが、今では数わずかとなっています。

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☆観光案内

旧市街は、中世の趣が残っていて、階段や坂道がたくさんあります。メイン通りのポワリュ通り(第1次大戦中の兵隊さん通り)にいくつかの小さな路地が交差しています。オブスキュール通り(暗闇通り)は、今でも洞窟のように薄暗く、何メートルも続いていて、中世の不安定な時期に住民の避難場所として使われてきたようです。

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ヴィルフランシュは、ジャン・コクトーが頻繁に訪れた港町で、1957年には港にあるサン・ピエール礼拝堂の修復装飾をしたことで知られています。壁画には、キリストの使徒になる前は漁師だったサン・ピエール(ペテロ)の生涯を街の娘たちや漁師たち、魚たちなどヴィルフランシュの風景の中に描き、ヴィルフランスの漁業組合に贈ったそうです。
ジャン・コクトーは、サン・ピエール礼拝堂のすぐ向かいにあるwelcomeホテルに滞在していました。今でもジャン・コクトーが泊まっていた部屋に宿泊することもできます。

サン・ピエール礼拝堂

閉館日:毎週月曜日と火曜日、11月中旬〜12月中旬

開館日時:4月−9月10時-12時/15時-19時、10月−3月10時-12時/14時-18時

入館料4ユーロ

☆イベント

2月のニースカーニバルの時期にヴィルフランシュの港で海軍花合戦が行われます。
2024年は2月19日(月)に開催されました。

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⭐︎ホテル

ヴィルフランシュには、4星ホテル、デザイナーズホテル、プールのある素晴らしい港の景色を望むホテルなど10軒のホテル、計220台のベッドがあります。また、3つの住宅型ホテル、30の家具付きアパート 、2つのシャンブルドットもあります。
サン・ピエール礼拝堂のすぐ向かいにあるwelcomeホテルにジャン・コクトーは滞在していました。今でもジャン・コクトーが泊まっていた部屋に宿泊することができます。

☆レストラン

港沿いにあるLa Mere Germaineは新鮮な魚介類が美味しいレストランとして有名です。ブイヤベースが有名で、1人分90ユーロ程度です。

☆アクセス

ニースから電車でモナコ・イタリア方面へ1駅です。SNCF PACAのサイト
バスでは、ニースから出ている81番でオクトロワ(Octroi)下車 バス会社Ligne d’azurのサイト

☆リンク

ヴィルフランシュ・シュル・メール観光局(英語)

☆近郊の街

iphone 094⭐︎サン・ジャン・カップ・フェラ(Saint Jean Cap Ferrat)

サンジャンカップフェラ半島は、19世紀終わりからリゾート地として有名になります。
その前は、ヴィルフランシュ・シュル・メールの一部で、乾燥した岩のある土地だったため、聖ジョン・ハムレット教会と港の周りに漁師や農家のいくつかの小さな家があるだけでした。
1876年に水道局が貯水池を作り、半島にも水が供給されるようになったため、多様な植物が育つ環境となります。その頃から、ニースの家族たちが車で来て、オリーブの木の下でピクニックをしたり、港の近くのレストランで食事をしたりするようになります。

独立
1388年以来、サヴォイア家が所有していたニース伯領は、1860年フランスの一部となります。1904年に、ヴィルフランシュ・シュル・メールから分離し、サン・ジャンは独立した自治体となります。まずは、サンジャン・シュル・メールと名づけられ、1907年にサンジャン・カップ・フェラという名前となります。

観光業の発展
1900年代初頭、冬の観光が、コートダジュールで展開していきます。その穏やかな気候にイギリス人やロシア人など裕福な外国人の家族が魅了され、人気の目的地になります。サンジャンカップフェラにはベルギー国王レオポルド2世や貴族がやってきます。
1904年、ベッドフォードホテル(現在のホテルロイヤルリビエラ)が半島の入り口に建てられます。1908年、裕福な国際的な観光客のためにグランドホテルが、緑豊かな半島の岬に建てられます。

1950年代には、夏の観光が流行り始めます。エディット・ピアフ、チャーリー・チャップリン、エリザベス・テイラー、リチャード・バートン、ジャン・ポール・ベルモンド、ロジャー・ムーア、トニー・カーティス、デヴィッド・ニーヴンやロミー・シュナイダーなどの芸能人やドゴール、ジスカールデスタン、レイモン・バール、ウィンストン・チャーチル、ジョージ・ブッシュ、ビルクリントンなどの政治家もやってきます。アンリ・マチスやジャン・コクトーなど有名な芸術家もサンジャンカップフェラに滞在します。

IMG_6359ドイツ出身のユダヤ人の芸術家シャルロッテ・サロモンは、ホテルベルオロール(現在のホテルヴィラカップフェラ)に2年間滞在し代表作「人生?あるいは劇場?」を作製します。もっとも有名な画家は、ジャン・コクトーです。彼は素晴らしいフレスコの壁画をサント・ソスピール荘に、市役所の結婚式場に壁を飾るフレスコ画を作製します(事前予約で見学可能)。

ベルギー国王レオポルド2世は、1889年からカップフェラの土地を取得し始め、数年後に半島の西側に50ヘクタールにわたる土地を得ます。
IMG_6356現在は、半島にたくさんある豪華な邸宅ですが、最初は、隣町のボーリューシュールメール(現在のプロムナードモーリス・ルヴィエ)へ続く海岸沿いに建てられました。一番最初に建てられた「Lo Scoglietto」(現在「フルール・デュ・カップ」)の所有者は、チャーリー・チャップリンやデヴィッド・ニーヴンでした。他にも有名人たちが所有する邸宅が数多くあります。

⭐︎観光案内IMG_6357
徒歩ではアクセスが難しい場所ですが、ジャンコクトーが描いた素晴らしいフレスコの壁画がサント・ソスピール荘にあります。
2018年にオーナーが変わって改装が始まり、残念ながら見学できなくなりました。

サンジャンカップフェラ半島の先にあるグラン・ホテル(Grand Hotel du Cap Ferrat)にある、海に面した景色が素晴らしいカフェ(クラブドルフィン)では、ゆっくりとお茶ができ私のお気に入りです。

お時間がおありの方は、砂浜の素敵なla plage de passableでのんびりされるのもお勧めです。岬を一周する散歩道(11キロ)の一部をゆっくりお散歩されるのも気持ちいいです。お子さんでも歩ける道があります。

iphone 104数多くあるお金持ちの邸宅の中でも、最も豪華な邸宅「ロスチルド邸」が半島の中にあります。「夢の別荘」と言われていて、予約なしで見学ができます。7ヘクタールの大きな敷地なので、邸宅と庭を見学するには1時間ぐらいかかります。中にはカフェもあってお茶をしたり、軽食が食べられます。5月には船のデッキに見立てたという庭園にバラが咲いて素敵です。

iphone 09306230 Saint-Jean-Cap-Ferrat
Tél : 04 93 01 33 09
365日オープン:10時〜18時
7月・8月:10時〜19時
11月から1月:月曜日〜金曜日14時〜18時 / 土日祭日10時〜18時 開場は閉館時間の30分前まで
ティールーム:2月〜10月:11時〜17時30分、11月〜2月:土日祭日

iphone 097アクセス:電車:Beaulieu-sur-Mer駅下車徒歩25分もしくは、駅前のバス停からバス81番”Plage de Passable”下車

⭐︎リンク サン・ジャン・カップ・フェラ観光局(英語)

⭐︎ボーリュー・シュル・メール

サン・ジャン・カップ・フェラの半島の付け根をモナコ方面へ少し行ったあたりにあるのが、ベルエポック時代の建物が残っている温暖な高級保養地ボーリュー・シュル・メールです。
高級ブティック、カジノ、高級ホテル、高級レストランが集まり、蟻の湾(Baie des Fourmis)の前にある小さな絵のような港には豪華な船が停泊しています。ゆっくりと海辺を散歩したり、カフェのテラスでゆったり過ごすのがおすすめです。
Sancta Maria de Olivo礼拝堂には展示物があって、見学されてもよいでしょう。
夏の間は、小さなアフリカ(la Petite Afrique)と蟻の湾(Baie des Fourmis)という静かで素敵なビーチでゆっくり海水浴も贅沢ですね。

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観光名所としては、ギリシャの邸宅を再現したヴィラ・ケリロス(Villa Kérylos)が村の真ん中にあります。
Villa Kérylos, salon (andron)ヴィラ・ケリロスには、地中海の住居に似せて、白いカララ大理石でできた12本の柱に囲まれた大きな広場が中心にあります。古代ギリシア宮殿の装飾の細部まで再現されています。洗練された家具が最も特徴的です。オリーブの木々とブドウ畑、ザクロ、キャロブ、キョウチクトウやアイリス、松やヒノキなど、フランスのリビエラの太陽の下で、ギリシャの雰囲気を再現しています。

Villa Kérylos, salle à manger (triklinos)開館時間:
5月2日から8月31日:10時〜18時、
9月1日から〜4月30日:10時〜17時
閉館日 1月1日、5月1日、11月1日、11月11日、12月25日。

オーディオガイド:フランス語、英語、イタリア語、スペイン語、ドイツ語、ロシア語、ギリシャ語

Villa Kérylos
住所:Impasse Gustave Eiffel
06310 Beaulieu-sur-Mer
電話 : 04 93 01 01 44

⭐︎リンク
ボーリュー・シュル・メール観光局(英語)

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