フランスの最も美しい村の一つムスティエ・サント・マリー

ムスティア・サント・マリーは、”フランスのグランドキャニオン”と言われている壮大なウェルドン峡谷とエメラルド色の美しいサント・クロワ湖の近くにあって、フランスの最も美しい村の一つです。 ⭐︎地理・人口 1981年に「フランスの最も美しい村のひとつ」として認められたムスティエ・サントマリーは、南フランスのアルプ・ド・オート・プロヴァンス県に山の中腹に位置します。 アクセスはしにくい場所なのですが、夏は観光客で賑わっています。 現在、ムスティエの人口は700人程度です。 経済の中心は、観光と伝統的な「ムスティエ焼き」の陶器です。 ⭐︎歴史 ムスティエの村の近くに人が住んでいた痕跡は、3万年前のクロマニヨンの時代にまでさかのぼります。 青銅器時代に、リグリア部族は周囲の高原を占有し、oppidasと呼ばれる要塞を築き定住します。 現在の村に人が住み始めたのは5世紀からです。カンヌの近くにあるレランス諸島の修道士たちが 凝炭岩の洞窟に住み始め、6世紀には修道院を設立します。ムスティエ=サント=マリーという名前は、この教会があったことに由来しています(中世には、修道院はモナステリオMonasterio と言われていました。 470年に既に建てられていた聖母マリア聖堂があった場所にノートルダム・ド・ボーヴォワール礼拝堂が建てられます。 10〜11世紀にはムーア人の侵略があったので、近隣住民は身を守るために洞窟に隠れます。12〜13世紀には要塞や家が建てられ、ADOUの渓流には水車が造られます。 14世紀では、1348年のペストに加えて、 プロヴァンス伯爵領の後継争いで村の人口は減ります。 16世紀には、水力を使ったなめし革業、製紙業などが盛んになって村は勢いを取り戻します。しかし、17世紀の初めにはひどい悪天候のためにインフラや村の機能が弱まり、村の人口は再び激減ってしまいます。 17世紀の終わり〜19世紀には、ムスティエ陶器技術が発展します。 ムスティエ陶器の歴史 中世から、ムスティエの陶器技術は発展してきます。当初は、緑と茶色の自然な色合いの釉をかけた陶器が作られてました。1668年にレランス修道院からイタリアの修道士がムスティエにきた時に、白い釉(スズを含む陶器)の作り方の秘訣を伝えます。 ルイ14世は王国の財政を救済するために、金や銀の食器を溶かすように命じたため、代わりにムスティエの陶器が、ヨーロッパの宮廷界で最高の名声を得ることになります。 磁器とイギリス陶器が流行り始めると、2世紀に渡るムスティエの陶器活動に終止符が打たれます。 1927年、マルセル・プロヴァンス氏はムスティエ陶器の村のイメージを復活させるために、再び陶器を製作します。現在、11のムスティエ陶器のアトリエがあり、マルセル・プロヴァンス氏に捧げ博物館では、ムスティエの伝統的な陶器を見ることができます。 ⭐︎アクセス ニースからアクセスの仕方は2つあります。 一つ目は、ウェルドン峡谷(Les Gorges du Verdon)を通る道です。”フランスのグランドキャニオン”と言われている、ヨーロッパで一番大きくてよく知られています(ヨーロッパで標高が一番高い峡谷です)。 二つ目は、サント・クロワ湖からのアクセスです。こちらの方が道路は良いです。こちらの道でも到着する前にウェルドン峡谷の壮大な眺めが見られます(写真参照)。湖では約1時間のボートを借りることもできます。ボートは予約制ではないのと夏にはたくさんの人がいます。 ⭐︎観光案内 村の中は急な坂になっていて、もちろん歩行者専用です。村の途中には、川が流れ、夏でも涼しいです。小さな村ですので、すぐに回れます。村の一番上には、星が飾られていて(いくつかの言い伝えがあります)チャペル、ノートルダム・ド・ボーヴォワール礼拝堂もあります。 礼拝堂まで262段の階段を上がっていくこともできます。 村には多くの陶器家がいます。ムスティエの陶器ならではのモチーフが描かれています。村にあるアトリエで陶器家たちの手で作られています。 ⭐︎レストラン 約20のレストランがあり、洗練されたグルメ、ブラッセリー、地元の料理が食べられます。村の中には、小さなレストランがいくつかあります。 私が好きなのは、古い回廊にある « les tables du cloître(回廊のテーブル) »です。 »les santons »と « la treille »はよく知られているお店です。 ⭐︎ホテル 宿泊施設は、村の中心部と郊外には全部で130のホテル客室、約20のベッド&ブレイクファストがあります。 私がオススメするホテルは、デュカスのla bastideです。 少し穴場的なところです。 それほど高くなくて、とても美味しい食事が食べられます。採れたての野菜を使ってその日の料理が作られています。 とても静かです。 ⭐︎近郊の観光名所 ムスティエは、ラベンダー畑の広がるヴァロンソル高原(Valensole)の近くにあります。 ヴァロンソル村からマノスク方面にはラベンダー畑だけではなくヒマワリ畑もあって、壮大な景色が見られます。 ヴァロンソル高原のラベンダーは、初めはグラースの香料会社のための原料として栽培されます。当時は貧しい村だったので、女性や子どもだけでも重労働なく栽培ができるということで多くの家族がラベンダー栽培を始めたのです。 マイコートダジュールツアーズでは、ムスティエサントマリーとラベンダー畑の美しいヴァロンソル高原へご案内するツアーを時期限定で開催しています! ⭐︎リンク ムスティエ・サント・マリー観光局

ジャン・コクトーがよく訪れた客船の寄港地ヴィルフランシュ・シュル・メールとその近郊

ジャン・コクトーがよく訪れたニースとエズの間にある大型豪華客船の寄港地ヴィルフランシュ・シュル・メールをご紹介します。 *こちらのページは、観光ガイドの代わりとすることが目的ではなく現地ガイドの経験から便利で役に立つ情報を提供できたらという思いから作りました。 *お勧め情報はステファニーの個人的な意見です。 コートダジュールを目指してくるクルーズが停泊することが多く、重要な海上都市となっています。地中海の地元料理や新鮮な魚を組み合わせた様々な料理を堪能することができます。 ☆地理・人口 ニースの6km東隣、モン・ボロンの丘を越えたところにあります。今日ヴィルフランシュ・シュル・メールには、年間で5800人の住民が住んでいます。経済は観光業がメインで、フランスのコートダジュールのクルーズ客船の寄港地の中で最も活発な港の一つです。有名な大型豪華客船としては、ディズニーマジック、セレブリティソルスティスエノックス (RCCL)などがあります。 ☆歴史 ヴィルフランシュ湾は、丘に囲まれ守られているため、ギリシャやローマ時代から船のための停泊地として使われます。 西ローマ帝国の崩壊(5世紀)で、ヨーロッパは不安定になり、異邦人からの侵略を受けます。住民たちは、丘の上の鷲ノ巣村へ逃げ込みます。住民たちの避難した場所に「モン・オリヴォ(ラテン語のMons Olivaで、オリーブに囲まれた山だったのでしょう)」という名前がつけられます。 1295年プロヴァンス伯でナポリ王のアンジュー家シャルル2世が、海辺に新しい町を作ることに決めます。鷲ノ巣村から海辺に移り住む住民に対しては、「免税や特権を与える<Villam Francam>の都市を作る」とう文章を作成します。ヴィルフランシュという名前の由来はここからきています。 継承戦争後、1388年からほぼ5世紀にもわたってヴィルフランシュはサヴォイア公国の支配下に入ります。 16世紀には、神聖ローマ皇帝カール5世とフランソワ1世の対立が長い間続きます。 サヴォイア公国の領地は、神聖ローマ皇帝カール5世の2つの領地の往来を妨げていました。カール5世は、甥にあたるサヴォイア公爵を財政的に支援し、ニースの海岸線の要塞化を促します。それに対し、フランソワ1世は、カール5世の2つの領地の往来を妨げるために、 ニース伯領はアンジュー家の継承地だと主張します。 1554年からサヴォイア公爵、エマニュエル・フィリベールのリーダーシップの下でヴィルフランシュの要塞化が進み、サヴォイア公国の兵器庫、軍港として使われていきます。 1860年国民投票の後、ヴィルフランシュとニース伯領はフランスの地となることを認め、サヴォイア公国の支配下から抜け出すことになります。 この豊かで激動の歴史の中でも、ヴィルフランシュ・シュル・メールには、多くの歴史的な建物などが残っています。 漁業は、ヴィルフランシュの歴史的な活動です。漁師の家族たちはお互いに支え合い、しっかりしたコミュニティを築きました。 1860年には、ヴィルフランシュ、ボーリュ、サンジャンカップフェラ、で270名の漁師の登録がされていましたが、今では数わずかとなっています。 ☆観光案内 旧市街は、中世の趣が残っていて、階段や坂道がたくさんあります。メイン通りのポワリュ通り(第1次大戦中の兵隊さん通り)にいくつかの小さな路地が交差しています。オブスキュール通り(暗闇通り)は、今でも洞窟のように薄暗く、何メートルも続いていて、中世の不安定な時期に住民の避難場所として使われてきたようです。 ヴィルフランシュは、ジャン・コクトーが頻繁に訪れた港町で、1957年には港にあるサン・ピエール礼拝堂の修復装飾をしたことで知られています。壁画には、キリストの使徒になる前は漁師だったサン・ピエール(ペテロ)の生涯を街の娘たちや漁師たち、魚たちなどヴィルフランシュの風景の中に描き、ヴィルフランスの漁業組合に贈ったそうです。 ジャン・コクトーは、サン・ピエール礼拝堂のすぐ向かいにあるwelcomeホテルに滞在していました。今でもジャン・コクトーが泊まっていた部屋に宿泊することもできます。 サン・ピエール礼拝堂 閉館日:毎週火曜日、11月中旬〜12月中旬 (2017年は12月21日まで閉館) 開館日時:4月−9月10時-12時/15時-19時、10月−3月10時-12時/14時-18時 入館料3ユーロ ☆イベント 2月のニースカーニバルの時期にヴィルフランシュの港で海軍花合戦が行われます。 2019年は2月18日(月)に開催予定です。 ⭐︎ホテル ヴィルフランシュには、4星ホテル、デザイナーズホテル、プールのある素晴らしい港の景色を望むホテルなど10軒のホテル、計220台のベッドがあります。また、3つの住宅型ホテル、30の家具付きアパート 、2つのシャンブルドットもあります。 サン・ピエール礼拝堂のすぐ向かいにあるwelcomeホテルにジャン・コクトーは滞在していました。今でもジャン・コクトーが泊まっていた部屋に宿泊することができます。 ☆レストラン 港沿いにあるLa Mere Germaineは新鮮な魚介類が美味しいレストランとして有名です。ブイヤベースが有名で、1人分60ユーロ程度です。 ☆アクセス ニースから電車でモナコ・イタリア方面へ1駅です。SNCF PACAのサイト バスでは、ニースから出ている81番でオクトロワ(Octroi)下車 バス会社Ligne d’azurのサイト ☆リンク ヴィルフランシュ・シュル・メール観光局(英語) ☆近郊の街 ⭐︎サン・ジャン・カップ・フェラ(Saint Jean Cap Ferrat) サンジャンカップフェラ半島は、19世紀終わりからリゾート地として有名になります。 その前は、ヴィルフランシュ・シュル・メールの一部で、乾燥した岩のある土地だったため、聖ジョン・ハムレット教会と港の周りに漁師や農家のいくつかの小さな家があるだけでした。 1876年に水道局が貯水池を作り、半島にも水が供給されるようになったため、多様な植物が育つ環境となります。その頃から、ニースの家族たちが車で来て、オリーブの木の下でピクニックをしたり、港の近くのレストランで食事をしたりするようになります。 独立 1388年以来、サヴォイア家が所有していたニース伯領は、1860年フランスの一部となります。1904年に、ヴィルフランシュ・シュル・メールから分離し、サン・ジャンは独立した自治体となります。まずは、サンジャン・シュル・メールと名づけられ、1907年にサンジャン・カップ・フェラという名前となります。 観光業の発展 1900年代初頭、冬の観光が、コートダジュールで展開していきます。その穏やかな気候にイギリス人やロシア人など裕福な外国人の家族が魅了され、人気の目的地になります。サンジャンカップフェラにはベルギー国王レオポルド2世や貴族がやってきます。 1904年、ベッドフォードホテル(現在のホテルロイヤルリビエラ)が半島の入り口に建てられます。1908年、裕福な国際的な観光客のためにグランドホテルが、緑豊かな半島の岬に建てられます。 1950年代には、夏の観光が流行り始めます。エディット・ピアフ、チャーリー・チャップリン、エリザベス・テイラー、リチャード・バートン、ジャン・ポール・ベルモンド、ロジャー・ムーア、トニー・カーティス、デヴィッド・ニーヴンやロミー・シュナイダーなどの芸能人やドゴール、ジスカールデスタン、レイモン・バール、ウィンストン・チャーチル、ジョージ・ブッシュ、ビルクリントンなどの政治家もやってきます。アンリ・マチスやジャン・コクトーなど有名な芸術家もサンジャンカップフェラに滞在します。 ドイツ出身のユダヤ人の芸術家シャルロッテ・サロモンは、ホテルベルオロール(現在のホテルヴィラカップフェラ)に2年間滞在し代表作「人生?あるいは劇場?」を作製します。もっとも有名な画家は、ジャン・コクトーです。彼は素晴らしいフレスコの壁画をサント・ソスピール荘に、市役所の結婚式場に壁を飾るフレスコ画を作製します(事前予約で見学可能)。 ベルギー国王レオポルド2世は、1889年からカップフェラの土地を取得し始め、数年後に半島の西側に50ヘクタールにわたる土地を得ます。 現在は、半島にたくさんある豪華な邸宅ですが、最初は、隣町のボーリューシュールメール(現在のプロムナードモーリス・ルヴィエ)へ続く海岸沿いに建てられました。一番最初に建てられた「Lo Scoglietto」(現在「フルール・デュ・カップ」)の所有者は、チャーリー・チャップリンやデヴィッド・ニーヴンでした。他にも有名人たちが所有する邸宅が数多くあります。 ⭐︎観光案内 徒歩ではアクセスが難しい場所ですが、ジャンコクトーが描いた素晴らしいフレスコの壁画がサント・ソスピール荘にあります。 2018年から2020年まで工事中で見学はできないようですが、以前訪問できたときは、いつもとりこになっていました。 サンジャンカップフェラ半島の先にあるグラン・ホテル(Grand Hotel du Cap Ferrat)にある、海に面した景色が素晴らしいカフェ(クラブドルフィン)では、ゆっくりとお茶ができ私のお気に入りです。 お時間がおありの方は、砂浜の素敵なla plage de passableでのんびりされるのもお勧めです。岬を一周する散歩道(11キロ)の一部をゆっくりお散歩されるのも気持ちいいです。お子さんでも歩ける道があります。 数多くあるお金持ちの邸宅の中でも、最も豪華な邸宅「ロスチルド邸」が半島の中にあります。「夢の別荘」と言われていて、予約なしで見学ができます。7ヘクタールの大きな敷地なので、邸宅と庭を見学するには1時間ぐらいかかります。中にはカフェもあってお茶をしたり、軽食が食べられます。5月には船のデッキに見立てたという庭園にバラが咲いて素敵です。 06230 Saint-Jean-Cap-Ferrat Tél : 04 93 01 33 09 365日オープン:10時〜18時 7月・8月:10時〜19時 11月から1月:月曜日〜金曜日14時〜18時 / 土日祭日10時〜18時 開場は閉館時間の30分前まで ティールーム:2月〜10月:11時〜17時30分、11月〜2月:土日祭日 アクセス:電車:Beaulieu-sur-Mer駅下車徒歩25分もしくは、駅前のバス停からバス81番 »Plage de Passable »下車 ⭐︎リンク サン・ジャン・カップ・フェラ観光局(英語) ⭐︎ボーリュー・シュル・メール サン・ジャン・カップ・フェラの半島の付け根をモナコ方面へ少し行ったあたりにあるのが、ベルエポック時代の建物が残っている温暖な高級保養地ボーリュー・シュル・メールです。 高級ブティック、カジノ、高級ホテル、高級レストランが集まり、蟻の湾(Baie des Fourmis)の前にある小さな絵のような港には豪華な船が停泊しています。ゆっくりと海辺を散歩したり、カフェのテラスでゆったり過ごすのがおすすめです。 Sancta Maria de Olivo礼拝堂には展示物があって、見学されてもよいでしょう。 夏の間は、小さなアフリカ(la Petite Afrique)と蟻の湾(Baie des Fourmis)という静かで素敵なビーチでゆっくり海水浴も贅沢ですね。 イベントとしては、7月に行われる「夜のギター(Les Nuits Guitares)」と9月に行われる「 ボーリュークラシックフェスティバル」があります。テニスも盛んで、4月にジュニア国際トーナメントが行われています。 観光名所としては、ギリシャの邸宅を再現したヴィラ・ケリロス(Villa Kérylos)が村の真ん中にあります。 ヴィラ・ケリロスには、地中海の住居に似せて、白いカララ大理石でできた12本の柱に囲まれた大きな広場が中心にあります。古代ギリシア宮殿の装飾の細部まで再現されています。洗練された家具が最も特徴的です。オリーブの木々とブドウ畑、ザクロ、キャロブ、キョウチクトウやアイリス、松やヒノキなど、フランスのリビエラの太陽の下で、ギリシャの雰囲気を再現しています。 開館時間: 1月〜4月、11月〜12月:午前10時〜17時、 5月と10月:10時〜18時、 6月〜9月:10時〜19時 閉館日 1月1日、5月1日、11月1日、11月11日、12月25日。 ガイドツアーは無料(フランス語のみ):毎日11時、14時30分、16時、冬11時または15時。 オーディオガイド:フランス語、英語、イタリア語、スペイン語、ドイツ語、ロシア語、ギリシャ語 Villa Kérylos 住所:Impasse Gustave Eiffel 06310 Beaulieu-sur-Mer 電話 : 04 93 01 01 44 ⭐︎リンク ボーリュー・シュル・メール観光局(英語)

マチスのロザリオ礼拝堂があるヴァンス

マチスのロザリオ礼拝堂がある町として有名なヴァンス。長い歴史がある中世の町の魅力をご紹介します。 *こちらのページは、観光ガイドの代わりとすることが目的ではなく現地ガイドの経験から便利で役に立つ情報を提供できたらという思いから作りました。 *お勧め情報はステファニーの個人的な意見です。 ☆地理・人口 ニースから22㎞程度、サン・ポールから更に山の方に入っていくと岩が剥き出しになっているサン・ジャネ山が見え、そのふもとにヴァンスの町があります。人口は、現在は2万人弱ですが、ニースから車で40分かからないため、ニースで働く人々のベットタウンとして人口が増え、発展してきています。 ☆歴史 ヴァンスの歴史はとても古く、石器時代の住居跡やリグリア人のものと言われている城砦カステララ(Castellaras)の跡などが周辺には数多く発見されています。ヴァンスの都市が作られたのはおよそ紀元前3000年で、 アルプスに遊牧しながら住んでいたネルジイ族(Nérusiens)が現在のヴァンスのあたりに住み始めます。 ネルジイ族は、当時のプロバンス全体に住みついていたケルト人とリグリア人の血が混じったケルト-リグジア人ということができます。ネルジイ族は、危険が迫ると簡単な要塞の裏に避難します。当時は、戦いの神Venciusなど数々の神を信仰していたと言われています。その神の名前がヴァンスVenceという町の名前の由来になったという説があります。他には、ケルト語以前の言葉でヴァン(Vin)という「高さ」を意味する言葉が起源だという説もあります。 ローマの支配下に入ってから、ヴァンスの町の周りに城壁が作られ、水道が引かれ、ディーニュへ抜けるローマ街道の大切な中継地点である要所「ヴァンティウム」(Vintium)とヴァンスはなります。 中世にはヴァンスの町は、14世紀以上に渡って「司教の町」として発展していきます。城壁の内側は小道とたくさんの家でひしめき、1333年まで城壁の近くに家を建てることは禁止されます。15世紀まで町の中にはスペースは全くありませんでした。16世紀になると、ヴァンスにとって大切な人物が司教になります。プロテスタント側と対話をするために、トリエント公会議を行ったことで知られているローマ教皇パウルス三世も実はヴァンスで司教を勤めています。当時のヴァンスの住民たちは、オリーブや花農家、羊飼いたちでした。 1880年から生活様式がかわります。全ての農村に水道が引かれます。鉄道が走り、移動がしやすくなり、公立学校が無料で全ての人々に開かれます。一軒家がヴァンスの周辺にどんどんと建てられ、農民の数が減っていきます。 20世紀になるとヴァンスは世界に知られる観光地となります。太陽に恵まれ温暖な気候や景色だけでなく、アートや文化でも有名となります。マチスやシャガール、デュビュッフェなど数多くの有名な画家が移り住みます。ニースのシャガール美術館にある17枚の連作「聖書のメッセージ」は、ヴァンス滞在中にシャガールが約13年間をかけて作られたものといわれています。マチィスは、第二次世界大戦の激しくなった頃に、爆撃を避けてニースから離れ、静かなヴァンスにやってきます。別荘「ル・レーブ (Le Réve)」を借りて、5年間過ごし、ピカソもここを訪れています。この別荘は、2000年からヴァンス市のものとなり、芸術家、画家などの集まる場所となっています。マチスは、 「今朝、家の前を散歩していた時に、若い女の子や女の人、男の人が朝市に行くために自転車に乗っているのを見て、タヒチにいるのかと思った。」と言っていたとか。当時の様子が目に浮かんできますね。 ☆観光案内 ヴァンスは、中世の町として指定され、珍しく城壁がきちんと残っていて、楕円形をしています。 町の中は、路地がかたつむりの殻のように渦巻き状になって、中央の広場までたどり着きます。この広場には、ガイドブックにもでている大聖堂(Cathédrale de la Nativité de la Vierge)があります。カロリン王朝時代の寺院跡に建築されたもので、修復と拡大が幾度も加えられています。この大聖堂の中には、重要な歴史的遺産(11世紀)が残されていて、入り口から入ると一番奥の左側にある洗礼所には、シャガールのモザイク(Moîse sauvé des eaux)が飾ってあります。教会の中は暗いのと分かりにくい場所にあるので、少し見つけにくいです。 5つの城塞門の一つ、ペイラ門(Porte de Peyra)の内側には、歴史的建造物に指定されているペイラの噴水(1822年)があります。その近くに17世紀のヴィルヌーヴ城 (Château de Villeneuve)には、 エミール・ユーグ財団の近代アートの美術館が入っています。 © 庄司雅則 (SHOJI Masanori) ロザリオ礼拝堂(Chapelle du Rosaire)は、「マチスの礼拝堂」として日本でも有名ですね。 ヴァンスのバスターミナルから坂道を上がって徒歩約10分で行くことができます。建物、ステンド・グラス、 壁のタイルに描かれた絵、祭壇など全ての装飾をマチスが構想し手がけた礼拝堂です。 2016年に入り口やブティック、二階にあるスペースが改修されて綺麗になりました!日本語のガイドブックもおいてあります。ガイドブックには出ていないこともあるようですが、改修後に入館料が上がっています。 Chapelle Du Rosaire 466, av H.Matisse Tél : +33(0)4 93 58 03 26 入場料金: 7€ 2017年夏から開館日も変更になりました! 開館日:火・木・金 : 10時-11時30分、14時-17時,水・土 : 14時-17時 閉館日:月・祭日、日曜日は訪問不可、日曜日10時からミサがあります。毎年11月中旬から12月中旬も閉館します。 年間で一番光が美しいのは、冬の午前11時頃と言われています。 外観はとてもシンプルで小さいのですが、屋根に大きな鉄の十字架があり、カラフルなステンド・グラスが目を引きます。 中に入ると大理石の床や白タイルの壁に映った黄・緑・青のステンド・グラスの光が印象的です。 黄色は太陽・神の光を象徴し、緑色は自然・植物を表し、そして青色は地中海と空を表しています。 マチスが重い病に臥していた頃に彼の看護婦であったジャック・マリー(後に修道女となった)の「礼拝堂を作りたい」という願いを聞いて、1947年から礼拝堂の製作を始め、4年かかって1951年に作り上げました。 マチス本人も自分の代表作品と考えていたという、マチスの集大成の作品といえます。 ☆レストラン ロザリオ礼拝堂から400メートル、徒歩6分ぐらいにミシュラン一つ星レストランLes Bacchanalesがあります。火・水は定休日ですがそれ以外はランチもディナーも食べられます。ご予約をお忘れなく。 ☆マイコートダジュールでは、 ルノワールの家、ロザリオ礼拝堂(もしくはヴァンス村)、サン・ポールへご案内する半日ツアー(午後)を催行してます。 ☆アクセス ニース発、サン・ポール経由の400番のバスと ニース発ヴァンスまで直接に行く94番のバスで終点 ☆リンク ヴァンス観光局

美食の村ムージャンにあるレストラン・ラマンディエ L’Amandier

美食の村ムージャンにあるレストラン「L’Amandier ラマンディエ」を紹介します。 *こちらのページは、観光ガイドの代わりとすることが目的ではなく現地ガイドの経験から便利で役に立つ情報を提供できたらという思いから作りました。 *お勧め情報はステファニーの個人的な意見です。 2010年春に改装オープンしたニース料理レストランです。以前3つ星だったムーランドムジャンの元 シェフのロジェ・ヴェルジェ氏が村の中に作ったお店で、ロジェ・ヴェルジェ氏がシェフだった頃には、2つ星レストランだったこともあります。 現在は、様々な有名な星付きレストランで働いてきたDenis Fétisson氏が腕をふるって料理してくれています。夏の間は、素晴らしい景色の見えるテラスでも食事が楽しめます。レストランのインテリアも可愛らしく、繊細で美味しい料理を食べることができます。 Denis Fétisson氏は、Courchevelにあるミシュランガイド2つ星レストランCheval Blanc をはじめ、Tourtour にあるLes Chênes Verts、カンヌにあるLa Belle Otéro, Courchevel にあるle Bateau Ivre、ロンドンにある Nico、モナコにある3つ星レストラン Le Louis XV そしてムージャにあるle Moulin de Mouginsを経て、l’Amandierのシェフとなりました。2006年6月には フランス料理の最も優れた希望Jacquart賞を受賞しています。 年に3、4回コースメニューが変わります。 2016年秋のMuséeのコースメニューはこちらです。 オリーブのパンと小さなバゲット 鳥肉のバロティーヌ、ノイリー・プラットとキノコクリーム または フェンネルのペルジーヌとカボチャスープ、ヘーゼルナッツのせ アンズタケとCarnaroliライスのクリーミーリゾット、タルチュフの泡とオールドパルメザン または タラのフィレンツェ風、バニラの香りをつけたサツマイモのマッシュポテト、 玉ねぎクリーム添え ムージャンアマンディエ特製レモンタルト 2016バージョン または パイナップルのキャラメルかけ、クリーミーマンゴーパッション、ココナッツロシェ、パイナップルライムシャーベット または 日替わりデザート 建物の2階に、レストランがあります。建物の上階では、L’Amandierのお料理教室が開催されています。1階では夏の間は美味しいジェラートが売られています。 ⭐︎マイコートダジュールツアーズでは、2017年4月から小さな村々巡りツアーの際に、このレストランで美味しいランチを召し上がっていただけます。 (臨時休業の際には他のレストランに変更となることもございます。) ラマンディエ L’Amandier 48 Avenue Jean-Charles Mallet 06250 Mougins Tel : 04 93 90 00 91 レストランの目の前にある広場からも素晴らしい景色が見渡せます。

ピカソが晩年を過ごしたガストロノミーの村ムージャン

Mougins

ムージャンはガストロノミー(美食の)村としてよく知られていて、アーティストや有名人、VIPの方々が集まってきています。パブロ·ピカソは1973年に亡くなるまでの晩年の12年間をこのムージャンで過ごしています。 *こちらのページは、観光ガイドの代わりとすることが目的ではなく現地ガイドの経験から便利で役に立つ情報を提供できたらという思いから作りました。 *お勧め情報はステファニーの個人的な意見です。 ☆地理・人口 カンヌから内陸へ10キロ程度の丘の上にあるムージャン村は、昔からの姿がそのままに残っています。標高269mにあってカンヌ湾とレランス諸島を見下ろすことができ、反対側の内陸側からは、香水の首都グラースとプレ・アルプス山脈が臨めます。 人口は、2万人弱で、村以外にも25キロ平米の土地があって、半分が緑です。 ☆歴史 紀元前1世紀頃は、ムージャンの丘は、リグリア部族の小さな首都でした。ローマ時代には、アウレリア街道上の馬車宿として、重要な場所となります。中世、プロヴァンス王ルネの支配が終わると、自由権を得て、レランス大修道院長とグラース司教が領主となりムージャンの町は裕福になり、要塞化されます。18世紀から、オリーブ畑、ブドウ畑、ジャスミン畑での仕事を通じて町は繁栄します。その頃チャドで有名になった探検家司令官ラミー(1858から1900)氏はムージャン出身です。 ピカビアからピカソ 19世紀後半からは、気候とその立地の良さから、ムージャンに多くのフランス人と外国人が集まってきます。1924年にはアバンギャルド超現実主義者の画家フランシス·ピカビアはムージャンに魅了され、家を建てることを決めます。そして、友人達にムージャンの良さを話し、どんどん有名人が集まってくることになります。 最も有名なのは、1936年に初めて村に来たパブロ·ピカソです。その頃一緒にムージャンへ来た人たちは、ジャン·コクトー、ポール·エリュアール、マン·レイ、フランソワミレーなどです。そして、数年後ピカソはムージャンに住む事を決めます。彼は、ノートルダム・ド・ヴィ礼拝堂の隣にあってカンヌ湾を見下ろすことができる理想的な場所に住居を決めます。そして、彼の人生の最後まで妻ジャクリーンとその家に住み、仕事を続けています。 有名人達 その後、画家のフェルナン・レジェ、詩人のロベール·デスノス、映画監督のルネ·クレール、ダンサーのイサドラ·ダンカンはムージャン村に滞在しています。クリスチャン・ディオールは、最も有名なコレクションを作った時にはムージャン村の中心部に住んでいます。その後には、有名な歌手のジャック・ブレル、エディット・ピアフ、バレエダンサーのローラン・プティとジジ・ジャンメール、イヴ・サンローラン、シンガーソングライターのポールアンカ、詩人のジャン・リシュパン、映画俳優・監督のロベール·オッセン、女優のカトリーヌ·ドヌーブやジャンヌ·モロー、デザイナーのロジェ・ヴィヴィエなどが住んでいます。今日では、海の近くにある田舎であるムージャンに魅せられ、無数のアーティストがムージャンに住居を持っています。 ☆観光情報 ムージャンの村は、丘の頂上にある鷲の巣村です。カンヌ湾とレランス諸島を見下ろすことができ、反対側の内陸側からは、香水の首都グラースとプレ・アルプス山脈が臨めます。村の一番高い中心からカタツムリのように螺旋状に狭い通りが広がっていて、30以上のギャラリーやアートスタジオがあり、のんびりと散策ができます。村は小さいのですぐに周りきれ、主に2つのメインの狭い通りがあってレストランとギャラリーがならんでいます。 村の中のPorte Serrazineの近くにある写真美術館では、ピカソの写真や臨時展示もされていてお勧めです。 ムージャンのクラシックアート美術館(MACM:LE MUSEE D’ART CLASSIQUE DE MOUGINS) 古代ギリシャ、ローマ、エジプトの芸術の最大のプライベートコレクションやピカソ、レンブラント、ダミアン·ハースト、ダリ、マティス、アンディ·ウォーホルなどの近現代の作品が展示されていて、プティ・ルーヴル(小さなルーブル美術館)と呼ばれています。 32 rue Commandeur 村に入ってすぐ左にAmandierというレストランのすぐ隣です。 入場料12ユーロ12月25日以外毎日開館(10時-18時) ノートルダム·ド·ヴィ礼拝堂 村から少し離れた所にありますが、旧ピカソの邸宅の隣にあって現在も訪問が可能です。訪問無料 10月-4月:10-16時 7月と8月:毎日(午前10時-12時30分/午後14時-19時) 5月、6月、9月:毎週末(同上)。 ☆レストラン 村の中には約30軒の伝統的なグルメレストランがあります。そのうちいくつかのレストランでは、グルメ料理教室が開催されています。 2018年にミシュランの2つ星をもらったPALOMAは村の入口にあります。 以前3つ星レストランだった有名な「ムーランドムジャン」は、村からカンヌ寄りのノートルダム·ド·ヴィ礼拝堂の近くにあります。 ムーランドムジャンの3つ星シェフのロジェ・ヴェルジェが村の中に作ったもう1つのレストラン、ラマンディエも有名です。 5つ星ホテルの中にある1つ星レストランル・カンディーユは、村から徒歩10分です。もちろん車でも行けます。 ☆イベント 1969年にロジェ・ヴェルジェがレストラン「ムーラン・ド・ムージャン」へやってきてシェフとなり1974年にはミシュラン3つ星までもらい、ガストロノミーがムージャンにとって非常に重要な位置をしめることになります。 年に1回、美食の国際フェスティバルが開催されます。3日間、ムージャンの村にはフランスと世界中の有名な100人程のシェフが集まり、数十のデモンストレーション、ワークショップ、ショークッキングなどが開かれ、オープンエアの劇場となります。 ☆マイコートダジュールツアーズでは、小さな村々巡りツアーでアクセスが難しいムージャン村へ効率よくご案内します。 また貸切チャーターでノートルダム・ド・ヴィ礼拝堂やムーラン・ド・ムジャンなど個人ではアクセスがしにくい場所にもご案内できます。 ☆アクセス カンヌ駅からバス600番か30番でVal de Mouginsまで行き、そこからカンヌ方向に少し戻り花屋がある交差点を左に少し坂を上がった所にあるバス停から25番か27番、Val de Mouginsのバス停の向かい側の道に渡り更に少し進んだ所にあるバス停から23番、26番、650番に乗換えてMougins villageで降ります。もしくはカンヌ駅からバス630番でQui Vend Bonまで行き、向かい側のバス停から26番に乗ってMougins villageで降ります。1つ目のバスでコレスポンダンス 〇〇(数字)を運転手に言うと乗り換え用のチケットをくれるので、それがあれば2台目はお金はかからず1.50ユーロで行くことができます。バスの本数がいずれも少ないので事前に時刻表をチェックして行かれる事をお勧めします。 ☆リンク ムージャン観光局のサイト

中世の可愛らしい小さな村ヴァルボンヌ

Valbonne

フランスのハイテクパークであるソフィア・アンティポリスの近くにあるヴァルボンヌの村は、自然に囲まれ穏やかで温かい雰囲気です。特にローマ時代の街作りの計画に基づいて作られた碁盤目に区切られた街が今でも中世の雰囲気を残していて、とても素敵です。 (写真:Ville de Valbonne Sophia Antipolis)  *こちらのページは、観光ガイドの代わりとすることが目的ではなく現地ガイドの経験から便利で役に立つ情報を提供できたらという思いから作りました。 *お勧め情報はステファニーの個人的な意見です。 ☆地理・人口 ニースから西に30キロ、カンヌから13キロ内陸に入った山の中に位置し、自然に囲まれた村です。人口は1万1千人です(2003年)。 ☆ 歴史 先史時代と古代ギリシャ・ローマ文明 ヴァルボンヌの周りにある丘で行われた発掘により、コートダジュールの田舎のこの地域に古代から人間が暮らしていた形跡が見つかっています。数々のローマの瓦やアンフォラという古代ギリシャやローマ時代の取って付き壷やオイルや種を保存しておくためのかめなども見つかり、紀元1世紀頃から農業が行われていたことがわかっています。ソフィア・アンティポリスの近くにある水路橋の遺跡は、ローマ時代にアンチーブまで水を運んでいたものです。 修道院とシャレ大修道院の影響 ヴァルボンヌの歴史は、長い間修道院の歴史と密接な関わりがあります。ヴァルボンヌ(Valbonne)という名前(« Vallis Bona » 良い谷)は、13世紀に修道院設立とともに、アンチーブのオリビエ司教からプラド神父に贈られた土地として初めて記されます。 シャレ修道会に属する修道士の数は最も栄えていた時には1200ほどになり、ヴァルボンヌを含め修道院の数は13にもなります。シャレ修道会の力が14世紀には衰え、大修道院はアヴィニョンの聖アンドレのクリュニー修道院と統合した後、グラースの司教から1346年にレランス大修道院へ贈られ、修道院として使われていきます。 1387-89年のレイモン・ド・チュレンヌ(チュレンヌ副伯、ボーフォート伯)によるクレメンス七世(アヴィニョンの教皇)に対する暴動による被害と、ペストの被害によって、大修道院の管轄する地域の村々の人口は過疎化します。 ヴァルボンヌ村 グラースの司教で、レランス大修道院長であったグリマルディ家のオーギュスタン氏が1519年に率先して、近隣の共同体の助けを借り、1351年からのペストの被害を受けた村を再建します。1199年に導入されていたシャレ大修道院の横に村は造られます。 建築様式は、ローマ時代の長方形の街作りの計画に基づいて、中央通り、そこに直角に交わる道と中央にある広場が造れます。主に防御的な理由で、城壁の家には、外部への扉がありませんでした。 この村の領主は、10 分の1税を取り、小麦を挽いたりパンを焼く権利、ブドウやオリーブをつぶす権利を持ち、長い間住民達は献呈を続けていきます。 今日皆さんがご覧になられる村はほとんど当時のまま維持されています。 16世紀から20世紀までの発展 20世紀の半ばまでヴァンルボンヌはオリーブやワイン用のブドウや、香水の原料となるバラやジャスミンを栽培し農業が中心の村でした。20世紀の初頭にセルヴァンというブドウの栽培が始まり、現在でもその名残りが1月最後の週末に行われる聖ブラシウス祭りの際に見られます。 第二次世界大戦中には、占領された地域からの難民がヴァルボンヌ村に到着します。平和が戻った後、1950年に発展が進みます。海岸沿いが人口過密となり、その周りの農業や林業の土地がある地域では農業が衰退したことにより、多くの一軒家が立ち並ぶようになります。この開発は、通信システムが改良されたことと公共施設が建設されたによって促進されます。商業や工芸品、観光やレジャー関連機関も同時に発展して行きます。 ☆ 観光情報 ヴァルボンヌの見所は、特にローマ時代の街作りの計画に基づいて作られた碁盤目に区切られた可愛らしい街(村)並みです。村の中にはアンティークやインテリアのお店があって、ゆったりと散歩ができます。坂道を降りた所にある教会も中世からあり雰囲気があります。 アイスクリーム屋 Le Glacier は地元でも人気です。Le Glacier, 26 Rue Eugene giraud, 06560 Valbonne  東京のデパートに卸しているショコラティエ クリスチャン・カンプリニ Christian Camprini がありますので、お土産にお勧めです。 Christian Camprini 11, rue de la République 06560 Valbonne Tél. 04 93 75 03 61 地元で人気でケーキ屋さんは Patisserie Lenoir 14, Blv Carnot, 06560 Valbonne とても有名なチーズ屋さんが村の中にあります。 味見もできてチーズによっては真空パックにしてくれます。 ☆ レストラン お勧めのレストランは、村の中心にある広場に面しアーチの横にあるTerre Rossaです。プロバンス料理が食べられお勧めです。 Cadran Solaire  (4 rue Eugène Giraud)は、金・土(夏以外の日)にはランチ時もオープンしていて、洗練されていて美味しい料理が食べられます。 2017年できたレストランLou Cigalon-Maison Martinのシェフは、モナコのアラン・デュカスの3つ星レストラン »Louis XV”で4年、一つ星レストランla Bastide de Moustiers Sainte-Marie »5年、他にも星付きレストランでの経歴があり、こ自身のお店を開かれたそうです。奥さんは日本人でソムリエさんですので、日本語で話ができるので、安心です。 https://www.loucigalon.fr/ ☆マイコートダジュールでは、ヴァルボンヌを含む小さな村巡りツアーを催行してます。 アクセスが難しい村々をまとめて一日でワンボックスカーで効率よくご案内します。 ☆ アクセス アンチーブのバスターミナルからEnvibus 10番のValbonne行きに乗り終点で降ります。50分から1時間程度かかります。時刻表はこちら カンヌからは、駅横のバス停から630番のバスで45分から1時間です。時刻表はこちら グラースからは530番のバスで40分程度、ムアンサルトーからは同じバスで15分から20分です。時刻表はこちら 写真:Ville de Valbonne Sophia Antipolis ☆リンク ヴァルボンヌ・ソフィアアンティポリス観光局のサイト

マンドリュー・ラナープルとミモザ祭り

モンドリューラナープルは、ニースの西36キロの海沿いに位置していて、毎年2月に行われるミモザ祭りは、最近ではコートダジュールの主要な冬のイベントであるニースのカーニバルとマントンのレモン祭りと並ぶお祭りとして認識されるようになりました。昨年のミモザ祭りには、6万人以上が訪れています。 地元のタネロン山で栽培された9トンのミモザを使って山車が造られ花合戦が行われます。このように地元の民間伝承の面を保持しながら、地元のミモザ農園の人々の活動を支援しています。 ☆マンドリュー・ラ・ナプルとミモザの歴史 ミモザは実は、オーストラリアからきた常緑樹です。マンドリューラナプールに冬の間滞在していたVallombrosa公爵、モーレイズ侯爵またはイギリスの元大蔵大臣ブルーハム氏(Lord Brougham)のうち誰がこのミモザを植えたのかははっきり分からないのですが、ミモザはすぐにこの地に順化し、すぐに園芸家や庭師たちに経済的利益を与えるようになります。 20世紀の初頭にすぐにパリの公園でミモザが見られるようになります。また業界団体と最初の商用農園が造られます。そしてミモザを栽培する人々はどんどん増えていき、市場は発展して行きます。毎日の様にミモザの花を載せた電車がカンヌやラナープルの駅から北フランスや外国へと出荷していきます。 1929年2月13日、-9°という寒波がやってきて、ミモザの歴史の中で最初の打撃となります。農園は凍結してしまいます。その後、2年かけてミモザ栽培は元に戻り、Gandolphus市長のもとで1931年2月16日に最初のミモザ祭りがマンドリューラナプルで開催されます。 1956年、再び-12°Cという寒波がやってきて、ミモザ、柑橘類やオリーブの木が大きなダメージを受けます。いくつかの古いミモザの木は捨てられることとなります。そして、農園は比較的温かいタネロン(Tanneron)山地に集中していきます。 そして流行が変わり、新しい花が世界の市場に到着します。ミモザはすぐに枯れてしまうと批判を受けます。クリザール花栄養剤が見つかったことが革命をもたらし、ミモザは8日間咲き続けるようになります。残念ながら、1970年の巨大な火事に続き、1971年厳しい霜がすべての農園を破壊します。植林援助金を受けますが、再起動は大変困難となります。 今日では、ミモザの花がモンドリューラナプールの町のシンボルとなり、協力的な”ユーロップミモザ”を通じて切り花を栽培・販売し続けられています。 ☆ミモザ祭り 正式に1931年にミモザ祭が初めて開催され、今日では広く認識される盛大なフラワーパレードとなっています。モンドリューラナプールは、黄色いミモザの開花とともに賑やかになります。毎年冬1月〜2月の数ヶ月間ミモザは開花し、魅惑的な匂いを放ちます。ミモザが満開のときには丘や庭園が金色に輝き、「冬の太陽」だといわれています。毎年2月に「ミモザ祭り」が行われ、伝統と地元の民間伝承がなされています。 このミモザ祭りの機会に下記のイベントも行われます。 ・ミモザ女王の選挙 ・ミモザの森や温室、香水工場を訪れミモザの全てを学ぶバスツアー ・タネロン山へのガイド付きハイキング ・そして外せないのが週末のパレード 祭りの組織は自治体の住民、アソシエーションや実行委員会に委託されています。 採りたてのミモザを載せた山車が、毎年選ばれたテーマに沿って創られパレードとなって行進します。 毎年のだいたいのスケジュールは 最初の金曜日の夜にはイルミネーションパレード(見学無料) 土曜日の午後からミモザ女王選挙が行われます。 日曜日の午後14時30分にはミモザの花合戦(座席料13ユーロ程度) 翌土曜日にはイルミネーションパレード(座席料9ユーロ程度) 翌日曜日にはミモザの花のパレード(座席料13ユーロ程度) 有料席以外にも無料立ち見エリアもあります。 詳細はこちら 2020年は2月19日(水)~26日(水)に開催予定です。 マイコートダジュールツアーズでは、貸切チャーターでミモザ祭りの時期にミモザを満喫できるコースへご案内しています。 内容は下記のような流れを予定しています。 ミモザ街道の一部をタネロン山に向かってドライブ(途中で写真ストップ) ミモザの温室を訪問 マンドリューでランチもしくはお茶(自由時間) ニースへ戻る ご参加をご希望の方は、お問い合わせください。 ミモザ街道 (La Route du Mimosa) ミモザ街道は、Bormes les Mimosasから Le Rayol, Ste Maxime, St Raphaël, Mandelieu-La Napoule, Tanneron, Pégomas, Grasseまでの8つのステップに分けられた1月から3月までミモザの魅力を満喫できる130キロに渡る道です。 ☆ラ・ナプール城 (Chateau de La Napoule) 海沿いにラ・ナプール城があります。14世紀に造られた塔を基礎に、アメリカ人彫刻家ヘンリー・クルー (Henry Clews)夫妻が改造したお城で素晴らしい建物です。夏の間は海沿いのテラスのカフェでコーヒーやお茶が飲め気持ちがいいです。詳細はこちら 電車の駅から近くです。カンヌからは22番のバスで「port de la napoule」下車。 ☆レストラン ナプル港近くにあるL’Oasisロアジスは、24年間ミシュランの2つ星がついているガストロノミーレストランです。地元の人にも旅行者の方々にも人気です。このレストランのビストロはお手軽な料金で美味しい料理が食べられます。 La Palméaも評判です。 ☆ホテル 海沿いにあるPullman Cannes Mandelieu Royal Casinoは景色もよくサービスもよいと評判です。レストランもあります。 ⭐︎アクセス マンドリューの中心街と電車の駅は離れていますので、中心街に行かれる場合は駅からバスをご利用下さい。ミモザ祭りのパレードは海沿いで行われるので駅から歩いて行ける距離です。 ・電車:カンヌからマルセイユ方面行きのTERで10分程度「マンドリュー(Mandelieu)」下車 2.30ユーロ 電車の時刻表はこちら(2016年) ・バス:①マンドリューの中心街へ行くには、カンヌ駅もしくはカンヌ市庁前からPalm Expresseというバスで30分程度「Gare Routière de Mandelieu マンドリューのバスターミナル」下車 1.50ユーロ  Palm Expresseのバスの時刻表はこちら(2016年9月) ②パレードの行われる海沿いやラ・ナープル城に行くには、22番のバスで「port de la napoule」下車 1.50ユーロ 22番のバスの時刻表はこちら(2016年9月) ☆リンク マンドリュー・ラナープル観光局のサイト カンヌ近郊の路線バス Palm Bus

優雅なリゾート地 モナコ公国

コートダジュール観光で絶対に外せないモナコ公国は、街がF1グランプリのコースになっていることやコージャスなモンテカルロのカジノ広場、グレース・ケリー、安全なこと、高級リゾート地としてよく知られています。 タイトルをクリックするとその内容へジャンプできます。 ☆ 地理・人口 ☆ 歴史 ☆ 観光案内 ☆ イベント ☆ ホテル ☆ レストラン ☆ ショッピング ☆ アクセス ☆ リンク *こちらのページは、観光ガイドの代わりとすることが目的ではなく現地ガイドの経験から便利で役に立つ情報を提供できたらという思いから作りました。 *お勧め情報はステファニーの個人的な意見です。 ☆ 地理・人口 ニースから東へ19キロに位置するバチカンの次に世界で2番目に小さな独立国モナコ公国、ベルエポックの優雅な建物やゴージャスなカジノが並び、世界中のジェットセッター達が集うモンテカルロは言わずと知れたリゾート地です。人口は、約3万人程度で、土地は、2平方キロメートルです。面積は小さいのですが、住民はとても多いので、人口密度はとても高いです。コートダジュールと違って、高層ビルが建ち並び、建物と建物の間が狭いのが特徴といえます。また、モナコ居住者のうちモナコ人は20%のみで、とても国際的な街です。 フランスからモナコへ入る際にパスポートは必要ありません。残念ながら国境でパスポートにスタンプは押してもらえませんが、市役所か観光案内所へ行くと押してもらえます。 19世紀末にモナコにカジノが作られたのをきっかけにモナコは裕福な国となりました。当時は95%の収入は、カジノから得ていましたが、現在では5%です。モナコ居住者(5年以内モナコ在住のフランス人を除く)には所得税はかかりません。裕福な人たちがモナコに住む理由はそこにあります。 ☆ 歴史 モナコの地にはまずリグリア人が住んでいたと言われています。そしてローマ人によって、その後当時のイスラム教徒達によって支配されます。1297年にジェノヴァのグリマルディ家がモナコに住み始めます。そのご子孫たち、貴族、公たちは700年に渡ってモナコを統治します。1489年にモナコは独立し1524年にスペインの保護下となり、1641年にはフランスの、そして1815年から1860年までサルディーニャ王国の保護下に入ります。1860年にはSpélugues台地にモンテカルロを建設し始め、1868年には鉄道を開通させ、発展していきます。 1906年にはモナコ公アルベール1世が海洋学の研究を行い海洋研究所を創り、その後海洋博物館を建設し世界中で有名となります。1949年に就任したモナコ公レニエ3世が1956年にハリウッドの有名女優グレース・ケリーと結婚し、さらに経済的・国際的に発展していきます。現在はグレース・ケリーの長男アルベール2世が持続可能な発展や地球上の生物の多様性を維持していくための取り組みを行っています。 グレース・ケリーは、交通事故で亡くなったのですが、フランスでは自殺だったという説や単なる事故だったという説がありますが、実際の所事故の原因は分かっていません。日本の若い女性でグレース・ケリーの名前を知らない方でも、エルメスのケリーバックはおそらくご存知だと思います。このカバンはグレース・ケリーのためにデザインされたのではなく、既に当時販売されていました。グレース・ケリーは妊娠初期にすぐには公表せずに、この40センチの大きさのあるカバンでお腹を隠しパパラッチにすぐに分からないようにしていたと言われています。それ以来彼女の名前でこのカバンは有名になりました。 ☆ 観光案内 モナコは世界で最も安全な国の一つです。おそらく、たくさんの裕福な人たち住んでいますしたくさんの銀行があるためでしょう。住人60人に対して1人の警察官が配置されていて、どこにでも防犯カメラがあります。モナコではスリはいません。住人や観光客は安心して過ごす事ができます。高級バックや宝石を身につけて夜散歩することができます。 モナコには、雰囲気の違ういくつかの地区に分かれています。旧市街地を含むモナコ・ヴィル(Monaco Ville)、カジノや高級ホテルのあるモンテカルロ(Monte-Carlo)、港の近くのコンダミーヌ(Condamine)、ショッピングセンターや住宅街のあるフォンヴィエイユ(Fontvieille)、ビーチのあるラルヴォット(Larvotto)などの地区に分けられています。 モナコ・ヴィルはロシェ(Rocher)とも呼ばれていて、岩の上にあるため歩いて行くのは少し大変です。1番か2番のバスで行かれることをお勧めします。 Le Rocher 旧市街地 ロシェ(岩山)と呼ばれている旧市街地の見所をご紹介します。 旧市街地は外せない場所です。大聖堂は、グレース・ケリーが結婚をし、埋葬されている場所です。いつも花が手向けられているお墓を見る事ができます。宮殿の一部は、訪れる事ができます。衛兵は11時55分に交代します。観光客に人気です。夏の間は、観光客がたくさん集まり何も見えなくなりますので、なるべく前の方に場所を確保することをお勧めします。 旧市街地は、よく手入れされていて古い建物だという印象はありません。観光でいらした方は、よくディズニーランドに似ていると言われています。生活感はあまりありませんが、この街に住んでいる人たちもいます。 お時間がおありでしたら、モナコ海洋博物館は特にお子さんには面白いと思います。水族館はとても近代的です。見て回るのには最低1時間は必要です。 平日でしたら旧市街地にある市役所へ行かれるとパスポートにモナコのスタンプを押してもらえます。観光案内所でももらえます。 宮殿の横からはモナコの素晴らしい景色が見られますので、写真スポットとしてお勧めです。 ・大公宮殿 Palais princier (グランアパルトマン) 大公宮殿は1215年にジェノヴァ人による要塞跡に建てられています。 16世紀のフレスコ画や巨大なルネッサンス様式の暖炉で飾られた王冠室など見所がたくさんあります。 公開日: 4月2日-10月31日 10時-18時 1月-4月1日、11・12月閉館 料金(歴史博物館とセット料金):大人: 8€、子供(8歳-14歳): 4 € アクセス:1番か2番のバスで終点Monaco ville Place de la Visitation 詳細はこちら(英語・仏語) ・歴史博物館 Le Musée des Souvenirs Napoléoniens et des Archives du Palais この博物館には特にナポレオンのフランス帝国の時期の貴重な古文書や資料が展示されています。 毎日開館(変更されることがあります) : 12月-4月1日(12月25日、1月1日):10時30分-17時(16時30分までに入場) 4月2日-10月:10時-18時 (17時30分までに入場) 入場料 12月-4月1日大人: 4 €、子供(8-14 才) ・学生: 2 € 4月2日-10月 (歴史博物館と大公宮殿の両方に入場可) 大人:8€、子供(8-14 才) ・学生: 4 € アクセス:大公宮殿の左端 詳細はこちら(英語・仏語) ・モナコ旧市街博物館 Le Musée du Vieux Monaco 陶磁器や絵画、服飾などが展示され、当時のロッシェの日常生活をかいま見ることができます。 開館日:6月-9月末 水曜日金曜日11時-16時、無料 ・海洋博物館・水族館 Musée océanographique de Monaco et aquariums プリンスアルベールI世(アルベール王子の曽祖父)によって1910年に科学と芸術のため宮殿として設計された博物館と水族館です。モナコ・ヴィル(ロシェ)の端にあり、眺めがとてもいい所です。 毎日開館(12月25日とF1グランプリの週末を除く): 10月-3月:10時-18時、4月-6月・9月10時-19時、7月-8月10時-20時30分 料金: 大人:14€、13歳-18歳と学生:€10、子供4-12歳:7€ 住所:Avenue Saint-Martin – Monaco-Ville アクセス:1番、2番のバスで終点Monaco ville Place de la Visitation 詳細は こちら(英語・仏語) 大公宮殿と海洋博物館・水族館の入場券セット(4月2日-10月31日のみ)があります。 大人: 18 euros、子ども (4-18歳) : 8 euros ・モナコ大聖堂 Cathédorale 1875年に建設されたロマネスク・ビザンチン様式の聖堂で、歴代の大公の墓石があります。 グレース公妃とレニエ3世の結婚式が行われた場所で、グレース公妃もこちらに眠っています。 入場無料 (日曜日の午前のミサ時は除く) 8時30分から19時まで(冬季は18時まで) モンテカルロ ・カジノとオペラ よく知られているのはカジノ広場のあるモンテカルロ地区です。 2016年末から工事が行われ、オテルドパリが改修され、映画館が壊され、ブティックが他の場所へ移動しています。今は工事中なので騒音があります。 そんなカジノ広場ですが、こちらにもかなりの人たちが住んでいます。オペラと同じ建物にとてもよく知られているグランカジノがあります。カジノでゲームをされたくない場合でも中を一見する価値のある建物です。最近改装されたので、さらに「輝いて」います。午前中も写真を撮るために中を見学することができます。実際にカジノがオープンするのは14時からです。午後や夜に行くとたくさんのスポーツカーや高級車が前に並んでいます。モナコは、車好きの方々にはパラダイスです。パスポートをお忘れなく。 モナコで最も知られているモンテカルロのカジノとオペラは、パリのオペラ座を建てたシャルル・ガルニエが設計し1878年に建てられます。 カジノの「ゲーム室」はステンドグラスや彫刻などで装飾されています。 カジノの中にあるオペラでは、現在も有名なコンサートやダンスなどが上演されています。 18歳以下入場禁止、入場にはパスポートが必要です。 入場料金: 17 € アクセスSNCF鉄道の駅から徒歩で12分、1、2、6番のバスでCasino下車 カジノのHP : 、オペラのHP フォンヴィエイユ地区 Fontvieille ・レニエ大公クラシックカーコレクション Collection des voitures anciennes 車好きの方には外せない場所で、レニエ3世のプライベートコレクションであった100以上の名車と6台の馬車が展示されています。 毎日開館:10時-18時 12月25日休館 料金:大人: 6 €、子供(8-14歳): 3 € アクセス:SNCF鉄道の駅から、徒歩5分、カジノスクエアから徒歩20分 5番、6番のバスでCentre Commercial Fontvieille下車 ・切手とコインの博物館 Musée des Timbres et des Monnaies モナコ公国の郵便歴史や1885年のシャルル3世から現代までの切手印刷に関する資料などや1640年からの公国の通貨が展示されています。 毎日開館:10月-6月9時30 時-17 時、7月-9月9時30 時-18 時 料金:大人: 3 €、子供(12-18歳)・退職者・学生: 1,50 € アクセス:クラシックカーコレクションの斜め前 詳細はこちら(英語・仏語) ・海洋博物館 […]

ニースから行けるイタリアの小さな美しい村ドルチェアクア

イタリアのドルチェアクアという美しい村をご紹介したいと思います。フランスではありませんがニースから行き易く、私たちのニース発のツアーにも入っています(ニース発、一日で3国巡り)。 ☆地理・人口 ニースから約1時間の内陸にある、海抜51メートル、人口2100名程度のイタリアの小さな村です。 こちらで村を上空から撮影したビデオをご覧になれます。 ☆歴史 ドルチェアクアという名前の一般的な意味 は »甘い水 »ですが、この名前は古代ローマにDulcius 氏に属する農場があったことが起源だと言われています。後に Dusàigaそして Dulcisacquaとなります。他の説では、ケルト人の村Dussagaが起源だと言われています。後にDulsàgaとなり、Dolceacquaとなります。 この地域で最古の人々が住んでいた痕跡は、鉄器時代のカステララスという乾いた石を重ねた囲いです。考古学的にも、紀元前5世紀から4世紀のローマ時代に、Intemeliが村々や牧草地、畑を守るために防衛の地として使っていた痕跡が見つけられています。1151年なるとドルチェアクアの名前が記録されます。それは、その頃の12世紀に渓谷が狭まる最初の地点と分岐地点を見下ろすことができる岩の頂上にお城の最初の部分をヴァンティミリア伯が建設しているためです。Meloriaの戦いでピサを破ったジェノバの船長であるオベルト・ドーリア氏が1270年に城を購入し、後継者が何年かかけて増築していきます。その後のドルチェアクアの歴史は、アンドレア・ドーリア提督の母であるカラコサ・ドーリアなどのドーリア家の歴史と同一といえます。ドーリア家は、サヴォイア家の保護下に入り、1652年にドルチェアクア侯爵となります。 城のふもと岩の周りに同心円を描いてに村が広がっていきます。ドルチェアクアの村はネルヴィア渓谷のネルヴィア渓流に沿っていて、ネルヴィアNervia川の水は噴水や村の畑のために使われます。村の一番古い部分はドーリア城に見下ろされたテラTerraという地区で、Rebuffao山のふもとにあります。村がどんどん広がっていきテラ地区にスペースがなくなると、今度は家を上に高くしていきます。7階まである家もあり、現在でも中世の雰囲気が残っています。一番新しい地区は、ボルゴBorgoという所で川を挟んで反対側の岸にあります。15世紀の中頃にこのボルゴBorgoが造られ、この二つの地区をつなぐために33メートルに渡る単一のアーチ型の石でできた太鼓橋が造られます。この橋は1884年にクロード・モネによって描かれ、作品はパリにあるマルモッタン美術館に展示されています。 城は何度か改築され、ルネッサンスの時期には、とても大きな要塞化した住居となります。1744年7月、オーストリア継承戦争の時期にはフランスとスペイン軍の大砲の攻撃を受け一部が壊されてしまいます。ドーリア侯爵は、教会の近くにある16世紀に建てられた宮殿に移動します。そして1887年の地震によって城は壊れてしまいます。現在この城はドルチェアクア市が所有していて夏のイベントに使われています。現在改修中ですが、文化的な活動に使われる予定です。 ☆観光案内 クロード・モネによって描かれた橋と廃墟となったお城、旧市街地が見所です。この村で特に印象的なのが、旧市街地です。私はコートダジュールやプロバンスの小さな村をいくつも見てきましたが、この旧市街地は特別だと思います。路地は薄暗く、アーチを使って建てられていて、丸天井の地下室には小さなブティックがあって、たくさん人々がこの旧市街地に住んでいます。まるで過去に遡ったような印象があって、独特の雰囲気です。また、道や建物など全て石でできているので夏でも涼しいです。旅行ガイドブックにはほとんど村の情報が載っていないので夏でも旅行者はあまりみられません。 テラ地区の足元には15世紀に建てられたSt.-Antoine le Grand教会、村の入口の墓地の横には11世紀にロマネスク様式で建てられたSt.-Georges教会がゴシック様式とバロック様式に改築されて現在も訪れることができます。St.-Bernard礼拝堂には15世紀のEmanuele Maccari de Pignaという画家の描いたフレスクが現在も保存されています。 一番古い礼拝堂としては、St.-RochとSt.-Christopheがあります。 ドーリア城の見学ができる時間帯は下記の通りです。入場料は7ユーロです。 2013年1月12日-3月24日 土曜日、日曜日 10時-17時 (入場は16時30分まで) 3月29日-4月7日(イースターのバカンス)毎日10時-13時(入場は12時30分まで)、14時-18時(入場は17時30分まで) 4月13日-5月26日 土曜日、日曜日 10時-13時(入場は12時30分まで)、14時-18時(入場は17時30分まで) 6月1日-9月15日 毎日 10時-13時(入場は12時30分まで)、15時30分-18時30分(入場は18時まで) ☆イベント ドルチェアクアでは、8月16日に伝統的な地元のお菓子michetta祭りを現在も行っています。このお菓子はブリオッシュのようなもので、村の路地で繰り広げられる音楽祭の際に若い男の子たちが若い女の子たちから好意の印としてもらうという特徴があります。また、クリスマスの時期には、大きなたき火をする習慣があります。 ☆お土産 この地域は農業が盛んで、オリーブオイルやワインを生産しています。Rosseseというドルチェアクアのワインはよく知られていて、まろやかで香り高く、甘口です。特別なブドウの品種で造られていて、数も限られています。またミモザやカーネーションなどの花も栽培されていて、市場で売られています。 ☆レストラン お勧めのレストランは »Casa e bottega« です。とても美味しいこの地域の家庭料理が食べられます。 お値段もお手頃です。ピザはIl borgoで出来立てが食べられます。 A Viassaでは近代的でシックなイタリア料理が食べられます。その他レストランの情報はこちら ☆アクセス ニースから電車でイタリアのヴェンティミリアVentimigliaまで行き、バスで20分程度です(ヴェンティミリアから約7キロ)。バス停はヴェンティミリア駅を出て広場を抜け、道を50メートルほど下り、左に曲がってすぐにあります。道路上に黄色い線でバスが止まる箇所やBUSと書かれています。 電車の時刻表はこちら バスの時刻表(2013年9月16日〜2014年6月15日)はこちらの9ページ、LINEA 7をご覧下さい。 6月16日以降は本数が増えます。こちらの下の方にある表をご参考にして下さい。 ☆ リンク ドルチェアクア観光案内所(英語)

コートダジュールのお勧め日本食レストラン

コートダジュールでは、数年前から日本食レストランが増えてきています。10年ぐらい前には日本人が営業しているレストランはほとんどなくて、日本食はあまり流行っていませんでした。数年前からフランス人はお寿司を食べるようになり、日本食レストランが増えてきました。レストランは、主にフランス人が経営するお店と日本人が経営するお店の二つのカテゴリーに分けることができます。お寿司のチェーン店は日本人が経営していないので、お味噌汁の味にはびっくりさせられるかも知れません。 フランス人が経営しているからといって必ずしも美味しくない訳ではないのですが、フランス人の口に合わせた料理が提供されています(例えば、チーズ寿司、フォアグラ寿司、白米に照り焼きソースをかけたり等々)。そして本来の日本料理とはかけ離れた料理が出て来たりします。 上記のような経験もあって、皆さんに私たちの行きつけの日本食レストランについて紹介させて頂けたらと思いました。 また、ツアーに参加して下さったお客様から、何日かフランス料理を食べ続けたため食べ飽きてしまい、美味しい日本食を食べたいのでお勧めのお店を教えて欲しいとよく聞かれる事があります。そのような時にも提供させて頂いている情報と私達のコメントです。 加も川 Kamogawa ニース ・加も川 Kamogawa 住所18 rue de la Buffa 06000 Nice TEL : 04 93 88 75 88、年中無休 お寿司とお刺身、すき焼きがとても美味しいお店です。スタッフは全員日本人ですので、日本語で注文できます。ニースでよく知られているお店の一つです。上に写真を載せました。お昼の定食は1、牛丼定食、焼き魚定食、鮭丼定食、さしみ定食、天ぷら定食などがあります。2014年4月からランチ時限定でラーメンが9ユーロで食べられる様になりました! ・まゆっか Ma yucca 住所 26 rue de la Buffa 06000 Nice TEL 04 93 88 39 84、月・水-土 12時-14時、19時-22時オープン、日・火定休 お寿司ではない日本の料理を食べることができます。「まゆっか」姉妹は、フランス人にも食べ易い日本の家庭料理をフランス人に知ってもらいたいとのことです。メニューはランチ時には、前菜、メイン、デザートそれぞれ3種類と少なめですが、毎週変わります。食材は新鮮でお値段はお手頃です。デザートも美味しいです。ランチはメインのみで13ユーロ、メインと前菜もしくはメインとデザートのセットで18ユーロ、前菜、メイン、デザートのセットで23ユーロです。 ・Maido Yuyubentoのすぐ近くにある居酒屋のMaidoマイド、ランチもオープンしていて12ユーロ日替わり定食が食べられます。夜には、日本の居酒屋にあるようなおつまみや食事がお酒を飲みながら食べられるのでニース在住の日本人やフランス人に人気です。 住所 29 rue Tonduti de l’escarene 06000 Nice TEL 04 93 87 97 28 日・月曜日定休日 2015年にオープンしたラーメン屋さんKumanoでは餃子やカレーライスも食べられて、現地のフランス人にも人気です。 お弁当専門店のYuyubentoでは、お弁当の他にもカツ丼や牛丼もテイクアウトできますので、ホテルやビーチ、公園のベンチなどで懐かしい和食を食べることができます。 ・Yuyu Bento 居酒屋のMaidoマイドの近くにある、Yuyu Bentoはお弁当屋さんです!カツ丼や牛丼が10ユーロ、お弁当が11ユーロで買えます。お天気がいいときはお弁当を買ってビーチや公園で食べるのも気持ちがいいですね。 モナコ ・Yoshi 住所 Hotel Métropole 4 avenue de la Madone Monte-Carlo 98007 Monaco TEL+377 93 15 13 13 火-土12時15分-14時、19時-22時30分オープン、月定休 ジョエル・ロブションの星付きレストランです。メトロポルホテルの中にあって、シェフは山崎氏です。もちろんランチの方が夜よりもお手頃です。ロブションのレシピで作られたキャビアやオマール海老などの高級食材も提供されています。予約される事をお勧めします。 サバ、イカ、鮭の握り寿司それぞれ2つで9ユーロから、お寿司セットは50ユーロから、お刺身セットは38ユーロから、コースは135ユーロと195ユーロがあります。 ・KODERA Place de Marché にあって美味しいお寿司が食べられます。 カンヌ Cannes ・和桜 Wazakura 住所 13 Rue de Bône, 06400 Cannes TEL 04 93 99 93 42、月-土12時-14時30分、19時-22時、日定休 シェフのようこさんが握られたお寿司や刺身などの日本食を食べることができます。お昼のお寿司セットは10ユーロから、夜のお寿司セットは18ユーロからです。 ル・カネ Le Cannet(カンヌ駅か市役所から1番か4番のバスで15-20分、終点下車徒歩5分) ・柏 Kashiwa 住所 12 boulevard Gambetta 06110 LE CANNET TEL 09 53 97 99 67 火-日12時-14時30分、19時30分-22時30分、月定休 日本人のご家族で経営されている日本食レストランです。お刺身や丼、煮物などの様々な日本の味を味わうことができます。お昼のお寿司セット(お寿司6つ、巻物1つ、サラダ、みそ汁)は9ユーロ、昼も夜も食べられる日替わりセット(小鉢、サラダ、みそ汁、なすの煮物、刺身、メイン)は23ユーロ、天ぷらは単品で18ユーロ、うな丼は25ユーロです。 柏 Kashiwa  ル・カネ

イタリアとの国境近くのレモンの町マントン

「フランスの真珠」とも呼ばれているイタリアとの国境近くのレモンの町、マントンについてご紹介します。 タイトルをクリックするとその内容へジャンプできます。 ☆地理・人口 ☆歴史 ☆気候 ☆観光案内 ☆イベント ☆お土産 ☆レストラン ☆ホテル ☆周辺 ☆アクセス *こちらのページは、観光ガイドの代わりとすることが目的ではなく現地ガイドの経験から便利で役に立つ情報を提供できたらという思いから作りました。 *お勧め情報はステファニーの個人的な意見です。 ☆地理・人口 コートダジュールの最も東にある町マントンはイタリアとフランスの国境近く、モナコとイタリアの間に位置します。マントンはアジェル山(Mont-Agel 1149 m)、ウルス山(Mont-Ours 1249 m) 、ベルソー(Berceau 1200 m)などの険しい山々に囲まれています。 人口は、だいたい3万人程度で、安定しています。傾向としては、若い人が増えてきて、労働人口が増えています。夏の間は8万人以上がマントンを訪れています。 ☆歴史 マントンという名前の起源や最初に住んだ人たちのことはあまりよくわかっていません。確実に分かっていることは、11世紀の終わりにヴァンチミリア伯爵領にPodium PinumもしくはPuypinと呼ばれた要塞化した小さな都市が現在ラノンシアード修道院がある丘の頂上にあったということです。その後、より海の近く、イタリアからつながる旧ローマ街道沿いに新たな村ができます。現在の旧市街地であるお城やサン・ミッシェル教会の辺りが当時の都市の中心でした。 12世紀頃からジェノヴァのヴェントファミリーがマントンの領主となり、14世紀半ばにモナコ領主のグリマルディファミリーが領主となります。モナコ王子オノレ2世がrue Longueに宮殿を持ち、現在ジャン・コクトー美術館である城の要塞を町の防衛のために17世紀初めに建設します。 18世紀には、主に漁業や農業を生業とする住民約4000人が暮らす街となります。 19世紀半ばには、マントンはサルディニア共和国の庇護の元、モナコから離脱し自由都市であると宣言します。1860年には、フランスに帰属することを選び、モナコのシャルル3世はナポレオン3世にマントンの権利を譲り、フランスのアルプ・マリティム県に属することとなります。 1880年からマントンはイギリスやロシアの貴族や観光客の間で人気となり、高級ホテルや高級別荘が建ち並ぶようになります。避寒や避暑のためにフランス皇帝ナポレオン3世の皇后やベルギーのアルベルト1世、ロシアのアレクサンドル、イギリスのヴィクトリア女王などの王族たちやアーティストでは彫刻家ロダン、ピアニスト作曲家のリスト、作曲家シャルル・グノーなどが訪れます。 第1次世界大戦中には、ホテルや高級ホテルは病院として使われます。第2次世界大戦中には、マントンはイタリアに、その後ドイツに帰属します。1944年9月8日に解放された後、再建を続け1960年代には再びコートダジュールの観光地としての地位を築きます。 ☆気候 マントンは、コートダジュールの温暖な気候で、特に亜熱帯の傾向があります。西からの風はアジェル山に遮られ、北や東北からの風からは、アルプス山脈の支脈によって守られています。冬の間も温暖で、晴れています。0度以下になることはまれで、1月の平均的な最低気温は11.3度です。マントンにある植物で代表的な物は、ヤシの木、レモンの木、バナナの木、ジャスミンなどで、温暖なことがよく分かると思います。夏の間は暑くなりますが、7月と8月の平均気温は25度で、海からのそよ風が気持よいです。年間快晴日数は、316日です。 ☆観光案内 マントンは、1991年にコートダジュールで最初、フランス国内で110番目に「芸術と歴史の町」として国に認定された町です。 旧市街は、小さな道が迷路のようにColla rognaという丘から港までつながっています。1993年から旧市街は保護地区と認定され、600の建物は修復対象となり、住民をさらに受け入れより活気のある歴史的地区になる予定です。 丘の上にあった城の跡地が墓地になっていて、ロシアやイギリスの貴族たちなどが眠っています。 サン・ミッシェル教会(Eglise St-Michel)はコートダジュールに残っているバロック様式の建造物としては最も美しい物の一つといわれています。 他にもアデマール・デゥ・ランタニャック邸宅(l’hôtel Adhémar de Lantagnac)や 白色苦業会(Pénitents-Blancs)礼拝堂、黒色苦業会(Pénitents-Noirs)礼拝堂なども見学できます。 ・ジャン・コクトー美術館 2011年11月にオープンしたジャン・コクトー美術館で、セヴラン・ワンダーマン氏が集めた豊富なコレクションが展示されていています。 ・コクトー美術館(要塞美術館) 海を見下ろす17世紀の小要塞の中にある美術館で、毎年違ったテーマの展示がされています。 両方とも火曜日と1月1日、5月1日、11月1日、12月25日以外の10時-18時オープン 入場料は、(Bastion)要塞美術館と新コクトー美術館の両方で8ユーロ(2016年8月時点) 詳しくはこちら ・市庁舎の結婚の間 コクトーは、1957年から58年の間にマントンの市庁舎の結婚の間の壁と天井にカラーの大壁画を作りました。 市庁舎は月曜-金曜8時30分-12時、13時30分-16時30分オープン 日本語の解説を聞くことも可能です。入場料2ユーロ ・庭園 19世紀に、特にイギリス人の植物学者たちがマントンに他では見られない素晴らしい庭を造り、今日でも見学することができます。また花も栽培していて、花が咲く村に与えられる最上級の「4つの花」ラベルが授与され、2008年に金の花という最高の賞をもらっています。 1990年に歴史的建造物として認められたJardins Serre de la Madone (住所 74 route de Gorbio)や国立自然史博物館所有で700種以上の熱帯や亜熱帯の植物のコレクションがあるJardin du Val Rameh (住所 Avenue Saint-Jacques)などがよく知られています。 ☆イベント マントンの街の中で行われるレモン祭り(Fête du Citron®) がとても有名で、ニースのカーニバルと同時期に行われ、両方見ることができます。レモン祭りについてはこちらの記事をご覧下さい。 他にはクリスマスの時期に行われるイベントもあります。 ☆お土産 マントンは温暖な気候のため柑橘類の生産で有名です。お土産には、マントンのレモンを専門としているお店Au Pays du Citronをご覧になるようお勧めしています。このお店では、地元産の柑橘類を使ったジャムやレモンを使ったリキュール「リモンチェッロ」、オリーブオイル、レモンを使ったアルコールなどを販売しています。 ジャムのお店は、 confiture Herbin 2 rue du vieux collège à menton です。 お店のすぐ隣にある工場で無料見学もできます。もちろんお勧めは、マントンの柑橘類のジャムです。みかん、レモン、オレンジ、ゆずの他、キンカンのジャムまであります。 1974年創業で、60%は果物、40%は砂糖で保存料は含まれていません。値段も比較的お手頃だと思います。 マントンの近くで収穫されたオリーブで作られたオ リーブオイルのお店L’huilerie Saint Michelもオススメです。レモンやバーベナの香りのするオリーブオイルなどがあって、たくさんの星付きレストランのシェフがここのオリーブオイルを使っています!パリにも支店が出ているんです。店内はとても綺麗で、サービスもよくて、味見もできます。 そして、おしゃれなフランスの魚の缶詰屋さんLa belle iloiseも日本の皆さんに人気です。 特にハーブとマントンのレモンが入っているサバの缶詰がオススメです。 市場(マルシェ)も素晴らしく、地元産の果物がたくさん店先に並んでいます。 ☆レストラン マントンの料理は、典型的な地中海料理です。地元産の太陽をいっぱい浴びて育った野菜や地中海の美味しい魚、地元のオリーブオイル、山のチーズ、果物、そしてもちろんマントンのレモンなどの材料を使って作られています。 マントンは、イタリアすぐ近くなので、とても美味しいイタリア料理を食べることができます。 広場のすぐ横にあるle café Siniでは、手軽においしいピザやモナコ料理のバルバジュアン(Barbqajuan)が食べられるので、軽食をご希望の方にはお勧めしています。 ミシュランガイドで2つ星レストランLe Mirazur もあります。 イタリアのヴァンチミリアの国境から50メートルにあるBaldi Rossiというイタリアン・レストランは、テラスが海の真上にあって、近代的な洗練されたイタリア料理が食べられます。 ☆ホテル マントンには、観光案内所によると約30のホテル、計1023部屋(4つ星ホテルは1つ、3つ星ホテルは16、2つ星ホテルは7つ、1つ星ホテルは3つと旅行者用ホテルが3つ)、ユースホステルは1つ、シャンブルドットは5つ、家具付き貸し部屋は108部屋ありま す。詳細はこちら ☆周辺 周辺には、鷲ノ巣村やアルプスの中にあるメルカントゥール国立自然公園、モナコ公国、ヴィルフランシュシュールメールなど散歩に適した道や訪れる場所がたくさんあります。 ・マントンのリヴィエラの鷲ノ巣村たち マントンの近くの沿岸地帯に5つの鷲ノ巣村が点々と並んでいます。バロック様式の教会、ロマネスク様式の礼拝堂、プロヴァンスの噴水の中世の館など歴史的な建物やアートギャラリーなどが見られます。 特にロクブリュヌ・カップ・マルタン(Roquebrune-Cap Martin)は標高225メートルにあるマルタン岬の上にある中世の鷲ノ巣村で、20世紀から王族や名士の隠れ家として有名です。他には、Sainte-Agnès (標高800m)、Gorbio (標高503m) 、Castellar (標高365m) 、Castillon (標高782m)の村々がマントンの周辺の鷲ノ巣村としてよく知られています。 ☆マイコートダジュールツアーズでは、ニース発一日で4国巡りでマントンの町を訪ねるツアーをご提供しています。 一日でフランス、モナコ、イタリア・セボルがの4カ国の魅力を満喫する欲張りなツアーです。ニース発だからできる世界でも珍しい一日4国ツアーは、「自慢になる」こと間違いないでしょう。 ☆アクセス バス: ・ニース市内のSEGURANE停留所から100番マントン行きのバスに乗り1時間15分程度(1.5ユーロ)このバスは、沿岸の街 (Roquebrune Cap Martin, Cap d’Ail, Beaulieu sur mer, Villefranche sur mer) やモナコにも停まります。15分から20分ごとに出ています。 時刻表はこちら(右側にあるTimetableに100と入力し、downloadを押すとPDFで時刻表をダウンロードできます。) ・ニース空港からは、110番のマントン行きのバスが出ています。1時間30分程度です(1.5ユーロ)。時刻表はこちら ・近郊の村々を訪れる際には、バスで行くこともできます。時刻表はこちら 電車: ニースからイタリアのヴァンチミリア行きの電車に乗りMenton Centreで下車、40分程度 ニースからは片道4.90ユーロ 時刻表はこちら 電車の駅から5分歩けば海岸に着きますし、街の中心にも徒歩で行けます。 コートダジュールの公共交通機関の情報はこちら ☆リンク マントンの観光局のサイト レモン祭りについての記事